退屈 退屈と文学

退屈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:27 UTC 版)

退屈と文学

大江健三郎はエッセー『新しい文学のために』[14]の中で、チェーホフの小説『決闘』を引きながら、馬車から見える切り立った岩壁と背後の山々と薄暮の空の織りなす絶景でさえ、ある者には「すばらしい見晴し」と感じられ、ある者には見飽きたつまらない風景としか映らないと述べている。大江がロシア・フォルマリズムの表現を借りて主張するところによれば、まったく同じ景色であっても、想像力の働きを介してそれが「異化」されるか否かによって、それを退屈と感じるかが変わる。異化によって単なる言葉から文学的イメージになるのだとすれば、退屈の分析は文学理論にとって重要となろう。

別の観点から考えるとすれば、昔話の構造を考えるとき、退屈に対してどのように振る舞うかが物語の展開にとって大きな役割を果たすことがある。ウラジーミル・プロップが『昔話の形態学』[15]で示した図式に従うなら、ある種の昔話は、「禁を課されている」(物置を覗いてはならない、中庭から出てはならない、等)主人公が、なんらかの原因によって禁を破ってしまったことによって開始される。禁を破る原因は、命令を忘れていたとか、なにかに夢中になりすぎたとか様々であるが、要するに退屈したのである。そして、禁を破ったことによって、主人公に対する敵対者(ヘビ悪魔魔女、等)が登場し、物語が大きく展開する。主人公がどのようにして自分の敵対者と対決し、克服していくかに焦点が移っていくのである。

禁を破ることが大きな危機を招くという昔話のプロットには、昔話の伝承者である民衆が抱えてきたなにかしらの感覚が窺えるだろう。プロップの言葉を引けば、「これは子供のことを思いわずらう、親の日常的な心配ごとと考えることもできよう」。しかしそれだけではない。「そこには単なる懸念ではなく、何かもっと根深い畏怖がうかがえる」[16]。一言でいえば、それは当時の民衆が感じていた、「人間をとりまいている目に見えない力を前にした怖れ」[17]なのである。

退屈に負けて

とはいえ、退屈に負けて外に飛び出していった主人公の物語を追ううちに、われわれは民衆がもっていた別種の願望のようなものにも気づくかもしれない。主人公は自分に降りかかった災いをどうにか克服したのではなくて、自ら冒険に飛び込んだとも言えるのではないだろうか。昔話を聞いたロシアの民衆は、それが誰にでも克服できるわけではない試練の物語だと知りながら、主人公の活躍に喝采を送ったであろう。試練の物語がプロップの言うように古くからの加入儀礼の記憶に根をもっているとすれば、退屈とそこからの克服は人間的営みの根幹に触れる概念なのである。

そう考えてみると、高貴な身分の主人公が退屈を解消するために外出し、身分を隠して庶民と接触し、のちに身分を明かすという、新さんが庶民生活の中で活躍する八代将軍の時代劇『暴れん坊将軍』や、直参旗本早乙女主水之介の物語『旗本退屈男』のプロットの中には、昔話のプロットと共通するところがありながら、相反するところもある。退屈に安住せず冒険に乗り出す主人公たちを見て視聴者は溜飲を下げたであろう。

しかしそこには危機に直面することへの怖れはもはや感じられない。それは発達した都市文化を背景にしてしか成立しない感覚なのである。従って、退屈を前にしてどのように考えるかは、時代的にも社会的にも異なる。

退屈について問うことは、みずからについて問うことである。


  1. ^ Csikszentmihalyi, M., Finding Flow, 1997.
  2. ^ a b ヒーター・トゥーヒー『退屈:息もつかせぬその歴史』篠儀直子訳 青土社 2011 ISBN 9784791766215 pp.109-122.
  3. ^ Fisher, C. D. (1993). Boredom at work: A neglected concept. Human Relations, 46, 395–417, p. 396.
  4. ^ Leary, M. R., Rogers, P. A., Canfield, R. W., & Coe, C. (1986). Boredom in interpersonal encounters: Antecedents and social implications. Journal of Personality and Social Psychology, 51, 968–975, p. 968.
  5. ^ Cheyne, J. A., Carriere, J. S. A., & Smilek, D. (2006). Absent-mindedness: Lapses in conscious awareness and everyday cognitive failures. Consciousness and Cognition, 15, 578-592.
  6. ^ Farmer, R. & Sundberg, N. D. (1986). Boredom proneness: The development and correlates of a new scale. Journal of Personality Assessment, 50, 4–17.
  7. ^ Fisher, C. D. (1993). Boredom at work: A neglected concept. ‘’Human Relations, 46’’, 395–417
  8. ^ a b Carriere, J. S. A., Cheyne, J. A., & Smilek, D. (in press). Everyday Attention Lapses and Memory Failures: The Affective Consequences of Mindlessness. Consciousness and Cognition.
  9. ^ Sawin, D. A. & Scerbo, M. W. (1995). Effects of instruction type and boredom proneness in vigilance: Implications for boredom and workload. Human Factors, 37, 752–765.
  10. ^ Vodanovich, S. J., Verner, K. M., & Gilbride, T. V. (1991). Boredom proneness: Its relationship to positive and negative affect. Psychological Reports, 69, 1139–1146.
  11. ^ 『ハイデッガー全集第29/30巻 形而上学の根本諸概念』川原栄峰、セヴェリン・ミュラー訳、創文社、1998年。これは1929年から1930年にかけてフライブルク大学でおこなわれた講義の記録であり、ハイデガーが退屈について最も広範に言及しているもの。
  12. ^ マルティン・ハイデッガー『形而上学とは何か』大江清志郎訳、増訂版、理想社、1961年、46ページ。これはフライブルク大学就任講義として行われた講演の記録で、ハイデガーが退屈について論及した最初のもの。
  13. ^ ジャック・ラカン「心的因果性について」、『エクリI』、弘文堂、1972年、230ページ。
  14. ^ 大江健三郎『新しい文学のために』岩波新書、1988年、70ページ。
  15. ^ ウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』北岡誠司・福田美智代訳、白馬書房、1987年
  16. ^ プロップ『魔法昔話の起源』斎藤君子訳、せりか書房、1983年、36ページ。
  17. ^ 『魔法昔話の起源』43ページ。






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