一揆 一揆の概要

一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 14:02 UTC 版)

一揆の史学における研究は、中世の一向一揆土一揆などから深められたため、民衆の一揆として捉えられ、領主(支配者)から禁じられるべきもので、民集の結合や暴動であるというイメージで捉えられるようになったとの指摘がある[2]。しかし、例えば肥前松浦党は一揆契諾書に署名して結束を確認していた[3]。日本史研究の初期の歴史学ではこれらの武士の結合は「党」(肥前国の松浦党や紀伊国の隅田党など)と呼び、一揆とは異なる継続的な政治的組織として分けて考えていた[2]。これに対しては勝俣鎮夫などから中世の一揆について必ずしも反権力的なものに限られず、むしろ特定の作法や儀礼によって結ばれた組織であると主張されるようになった[2]。また、近世の一揆についても、『編年百姓一揆史料集成』での調査から江戸時代の百姓一揆に武器が携行・使用された例は全体の1%弱であることがわかっている[4]。こうしたことから歴史学における一揆のイメージの転換も示唆されるようになっている[2]

なお、ドイツ語Putsch[5]の訳語としても使われる(カップ一揆や、ミュンヘン一揆など)。

概要

一揆とは『孟子』に由来するが、本来は揆(やり方、手段)をひとつにするという意味を持つ。

日本においては平安時代には単に同一であるという意味で使用されていた[6]。院政期には延暦寺東大寺興福寺など、寺の僧が集まって決議を行い、これを一揆契約と称した[2]。例えば元暦元年(1184年)には永久寺で「満山一揆之起請」がなされたという史料がある[2]

鎌倉時代には「心を一つにする」「同心する」といった意味合いで使われ[6]、「一揆」は動詞的に用いられていた[1]。また、同時代には易占の結果や意見が一致するという用例も見られた[7]。鎌倉時代になっても一揆が組織体という捉え方は希薄で、一つになっていること、同心していることを象徴的に示す意味が強かった[2]

こうした状況は南北朝時代に大きく変化し、寺社、武家、村落など様々な形で組織としての一揆が登場するようになった[2]。武士の一揆としては、文和4年(1355年)2月25日の足利尊氏近習馬廻衆連署一揆契状のように足利尊氏の親衛隊が結んだような軍団の一揆がある[2]。また、惣領庶子の和合や団結等の盟約、惣領家の推戴や牽制の目的で一族一揆と呼ばれる一揆が結ばれることがあった[2]。また、中小の武士層が地域集団を結成した国人一揆もみられた[1]

肥前国の松浦党は南北朝時代には上松浦党と下松浦党に分かれたが、このうち下松浦党の応安6年(1373年)、永徳4年(1384年)、嘉慶2年(1388年)、明徳3年(1392年)の一揆契諾書が現存しており、足利将軍家への忠節、争いの話し合いでの解決、夜盗・強盗・窃盗等の取り締まり、年貢や領地の争いは話し合って多数決で決めることなど取り決め署名を行っている[3]

百姓を中心とする一揆は南北朝後期に荘園単位の荘家の一揆が起きていた[2]。その後、時代が進んで土一揆が登場したが、荘家の一揆が荘園単位だったのに対し、土一揆は京都などの都市で発生した[2]

戦国時代になると新たな形態の武家の一揆が出現し、室町時代後半に出現した一向一揆に加えて法華宗の一揆も出現した[2]。さらに戦国時代には広い地域で武士のほか百姓や寺社などが、有力武士を中心に結合して一揆を行う惣国一揆も発生した[2]

江戸時代に入ると仁政と武威の二つの政治理念の下で、人々は暴力を封印し、幕藩領主に恐れながら訴える訴願が有効と考えられるようになった[8]。『編年百姓一揆史料集成』で江戸時代に日本全国で発生した百姓一揆(徒党・強訴・逃散)と打ちこわしを調査したところ、武器の携行・使用があった事例は14件(0.98%)しかなく、14件のうち18世紀に発生したものは1件しかなかったことが明らかになっている[4]。特に江戸初期には要求を通すためには武装蜂起よりも訴願の方が有効と考えられ、暴力・放火・盗みなどを禁じる百姓一揆の作法が創られ遵守されていた[9]。そのため「百姓一揆とは、同時期のアジア・ヨーロッパに例を見ない、江戸時代特有の社会文化であった」という指摘がある[9]

形式

一揆では一般に一味神水という特定の作法や儀礼が行われたが、その非日常性から、一揆の特徴についてこのような儀礼により結び付いた組織である点を重視する学説がある[2][10]。一揆では結集の目的を神に誓約する起請文が書かれ、参加者全員で一揆契状を作成して署名する[10]。この一揆契状を焼いて灰にし、水に溶かして飲む儀礼を一味神水という[10]

近世期は庶民の識字能力向上にともない、大量の文書が作られるようになるが、百姓一揆においても支配者の口約束は信じず、必ず文書の一札を求めるようになった点に中世期との相違がある[11]


  1. ^ a b c 第二章 南北朝・室町時代の福生市域とその周辺”. 福生市立図書館. 2022年12月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 久留島 典子. “演題「中世島津氏と『一揆』−地域比較の視点から」”. 鹿児島県. 2022年12月6日閲覧。
  3. ^ a b 五 海とともに時代を生きた武士団-肥前松浦党-”. 佐賀県. 2022年12月6日閲覧。
  4. ^ a b 須田 努『幕末社会』岩波書店〈岩波新書〉、2022年1月24日、5頁
  5. ^ クーデターや政変、暴動などを意味する
  6. ^ a b 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 773 / 25%.
  7. ^ 奥富敬之『吾妻鏡の謎』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2009年、p97
  8. ^ 須田 努『幕末社会』岩波書店〈岩波新書〉、2022年1月24日、4-5頁
  9. ^ a b 須田 努『幕末社会』岩波書店〈岩波新書〉、2022年1月24日、6頁
  10. ^ a b c 長谷川 裕子「国一揆と国人一揆について」『歴史と地理 日本史の研究』第717号、福井大学、2018年9月、 30-32頁。
  11. ^ 深谷克己『江戸時代』(岩波ジュニア新書、2000年) p.156、ISBN 4-00-500336-2
  12. ^ a b 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 773-784 / 25-26%.
  13. ^ a b c 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 509-522 / 17%.
  14. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 546 / 18%.
  15. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 784-796 / 26%.
  16. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 797 / 26%.
  17. ^ a b 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 453 / 15%.
  18. ^ a b c d e f 橋本 満「社会変動とシステム--百姓一揆より」『ソシオロジ』第19巻第3号、社会学研究会、1975年、 1-23頁。
  19. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 293 / 10%.
  20. ^ a b 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 304 / 10%.
  21. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 270-293 / 9-10%.
  22. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 326 / 11%.
  23. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 326-338 / 11%.
  24. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 396-408 / 13%.
  25. ^ a b 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 2790 / 91%.
  26. ^ 「すこぶるわいせつ」禁止令も出た盆踊り、それでも各地で受け継がれ…無形文化遺産になるかも” (日本語). 読売新聞オンライン (2022年8月19日). 2022年8月22日閲覧。
  27. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 222-232 / 7-8%.
  28. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 222-408 / 7-13%.
  29. ^ 呉座勇一 2015, p. Kindle版、位置No.全3065中 232-244 / 8%.
  30. ^ 仲多度郡史(1918年)P897”. 香川県仲多度郡編纂 (1918年1月15日). 2019年1月1日閲覧。
  31. ^ 今谷明『日本の歴史5 戦国の世』( 岩波ジュニア新書、2000年) p.155.
  32. ^ a b 歴史学研究会/日本史研究会 編 1976, p. 261.
  33. ^ a b 歴史学研究会/日本史研究会 編 1976, p. 262.
  34. ^ コジマ/ASCII.jp編集部 (2013年6月21日). “懐ゲー「いっき」が小説化!しかも主人公がイケメン過ぎる” (日本語). ASCII.jp. アスキー・メディアワークス. 2019年9月6日閲覧。


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