アメリカ合衆国の映画 アメリカ合衆国の映画の概要

アメリカ合衆国の映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/07 03:00 UTC 版)

1910年代から1930年代末ごろにかけてが「ハリウッド黄金期」だったと近年では考えられている。

歴史

1890年代

1893年、アメリカでトーマス・エジソンが「キネトスコープ」という映写機を発明した。これは箱を覗くとそこに動く映像が見えるという覗き穴式だったため、現在の映画の直接的な起源とは考えられていない。直接の起源は1895年フランスリュミエール兄弟がキネトスコープを改良し、発明した「シネマトグラフ」である。

上は1894年のマイク・レオナード対ジャック・クッシング戦[1]、下は同年のジェームス・J・コーベット対ピーター・コートニー戦のボクシングを記録した活動写真。いずれも全6ラウンドの一部で[2]実際の公式試合ではない。

1894年6月15日にはエジソン製作所のウィリアム・K・L・ディクソンとウィリアム・ハイセがブラックマリアというスタジオで[3]スポーツ初の商業映画として[4]、マイク・レオナードとジャック・クッシングが対戦するボクシングの6回戦を撮影した『レオナード対クッシング戦フランス語版』を製作している[5]。同社は続けてこの年、ジェームス・J・コーベットがピーター・コートニーを6回にノックアウトする『キネトグラフの前のコーベットとコートニー英語版』を撮影し[4][5]、この作品は全国的なヒットとなった[3]。1895年5月に行われたボクシングの試合の撮影では、レイサム兄弟が開発したアイドロスコープというプロジェクターが初めて使われ、レイサムループという投影装置を利用してより尺の長い映画が撮れるようになっていた[4]。これらの映像はボクシングの実際の公式試合を映したものではなく、脚色や演出があったとされている[6]

1900年代

1903年エドウィン・S・ポーターが『大列車強盗』を製作した。物語を持った初期の映画で、西部劇の元祖ともいえる作品である。この頃の映画はまだ紙芝居のような見世物の段階であった。1905年に、アメリカでは初めての映画館ピッツバーグに設立された。

1910年代-1920年代

エジソンシネマトグラフをアメリカで使用する特許を独占し、MPPCというトラストを組んでトラスト外の業者を排除しようとしたために、アメリカでの映画製作は難しいものとなっていた。困った映画人たちは西海岸ロサンゼルスハリウッドへ逃げた。そこは降雨も少なく様々な風景があったため映画製作にも適していた。また、第一次世界大戦1914年1918年)の後、多くの映画製作者がヨーロッパから渡米してきた。最も有名な人物はイギリス出身のアルフレッド・ヒッチコックである。

米国の映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人移民だった。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けており、映画という新しい娯楽ビジネスに注目したのである。1912年にはユニヴァーサル映画パラマウント映画1915年には20世紀フォックスの元となるフォックス・フィルム、1919年ユナイテッド・アーティスツ1923年ワーナー・ブラザース1924年メトロ・ゴールドウィン・メイヤーコロムビア映画1928年RKOが設立されるなど、現在のメジャースタジオが次々と設立された。

これらの会社を設立したのは皆ユダヤ人で、また、キャスト、スタッフ、等にもユダヤ人が多い他、アイルランド系も多い。この時期には「アメリカ映画の父」とも呼ばれるD・W・グリフィス監督の『國民の創生』(1915年)が公開された。

1927年、アメリカで長編映画としては初めてのトーキー映画ジャズ・シンガー』が公開され、これ以降トーキー全盛期となる。1929年には第1回アカデミー賞が開催された。見世物として始まった映画が、本格的に文化として認められ始めたといえる。

1930年代-1940年代

大きな映画会社が大規模で良質な映画を次々と生み出した。これはスタジオ・システムと呼ばれる。『或る夜の出来事』、『風と共に去りぬ』、『駅馬車』、『市民ケーン』、『バグダッドの盗賊』『独裁者 (映画)』などが代表的である。

新婚道中記』や『フィラデルフィア物語』などのスクリューボール・コメディと呼ばれるロマンティック・コメディ映画や、『四十二番街』、『トップ・ハット』、『巨星ジーグフェルド』、『踊るニュウ・ヨーク』、『若草の頃』などメトロ・ゴールドウィン・メイヤー製作作品を代表とした大掛かりなミュージカル映画が流行した。また、『汚れた顔の天使』、『マルタの鷹』、『三つ数えろ』、『白熱』、『第三の男』などのフィルム・ノワールと呼ばれる、ハードボイルドファム・ファタールが絡む映画も多く作られた。

1941年から参戦した第二次世界大戦中には、『カサブランカ』、『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』、『東京上空三十秒』などの戦意高揚を目的とした、愛国的な映画や、戦争プロパガンダ作品も多く製作された。

1940年代の凋落の始まり

アメリカ人が映画館へ行った回数。週平均の数字の、各年の推移のグラフ。テレビの普及やテレビ番組の充実とともに来館者数が低下していった。

なおアメリカ映画のスタジオ・システムは1940年代の後半に独占禁止法テレビの登場によって崩壊していった。

1950年代

テレビが新しい娯楽として広まったものの、『巴里のアメリカ人』や『雨に唄えば』、『バンド・ワゴン』などのミュージカル映画を中心とした大掛かりなセットを駆使し大量のスターを起用した娯楽大作の全盛期が続いた。一方で、『スタア誕生』、『喝采』、『オクラホマ!』など、ストーリー性を重視したミュージカルが50年代半ばに誕生し、現在まで続くミュージカル映画の原型を造った。

また、この時期の映画会社は、テレビとの差別化の為、これまでのスタンダード・サイズから、画面の拡大化を目指し始めた。20世紀フォックス社は1953年公開の『聖衣』で初めてシネマスコープを導入し、その後『百万長者と結婚する方法』、『ディミトリアスと闘士』などに採用され、フォックス以外にも『掠奪された七人の花嫁』、『エデンの東』、『長い灰色の線』などもシネマスコープで製作された。一方、同業他社のパラマウント映画社も1954年の『ホワイト・クリスマス』で実用化されたビスタビジョンで対向し、『泥棒成金』、『必死の逃亡者』、『十戒』などを製作した。

また、1954年の『ダイヤルMを廻せ!』がヒットすると最初の3D映画ブームが巻き起こった。

なお、1940年代後半から1950年代前半にかけて、冷戦開始に伴う赤狩りの影響で、チャールズ・チャップリンなど多くの「左翼的」、「容共的」とみなされた映画人がアメリカの映画産業を追われることとなった他、作品の内容にも大きな影響を与えた。また、アメリカ国内ではなく、ヨーロッパアフリカで撮影する場合も多かった。『ローマの休日』、『アフリカの女王』、『パリの恋人』、『戦争と平和』、『フランケンシュタインの逆襲』、『ベン・ハー』などが代表的である。

1960年代

スタジオ・システムが崩壊したものの、1960年代の半ばまでは、娯楽大作の全盛期が続いた。代表的なものに『ティファニーで朝食を』、『メリー・ポピンズ』、『西部開拓史』、『ウエストサイド物語』、『サウンド・オブ・ミュージック』等がある。

しかし、1960年代後半に入ると、娯楽大作は作られなくなり、1967年の『俺たちに明日はない』を発端として、アメリカでは「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる反体制的な若者を描く作品群が1970年代半ばまでいくつか製作された。これは1960年代にアメリカで巻き起こった公民権運動ヒッピーベトナム戦争などの影響を受け、旧来のWASP的な価値観が崩壊してきたことに影響されたと考えられている。

また、公民権運動の広がりに合わせて、ようやくアフリカ系アメリカ人俳優が主役級の立場で正当な評価を受けるようになり、1963年シドニー・ポワチエが社会派作品『野のユリ』でアカデミー主演男優賞を受賞し、1970年の『小さな巨人』と『ソルジャー・ブルー』によって西部劇の転換点を迎えることとなった。

この頃新たな収益源を模索したスタジオは、テレビシリーズの製作に活路を求めるようになり、『ペイトンプレイス物語』、『0011ナポレオン・ソロ』、『スパイ大作戦』、『ヒッチコック劇場』、『刑事コロンボ』等のテレビシリーズを成功させた。

1970年代

1970年代には再びアメリカ映画に大きな変化があった。スティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカスフランシス・フォード・コッポラらの登場である。彼らは映画学校で学び、1960年代ヨーロッパで生まれた技術を身につけた新しいタイプの監督だった。大きな興行成績を上げるうえに批評家たちからも高く支持された。なお、文芸派コメディが日本やヨーロッパで高い評価を得ているウディ・アレンが注目されたのも1970年代に入ってからである。

1968年の『猿の惑星』と『2001年宇宙の旅』の二作品がヒットし、SF映画にも注目が集まり始め、1977年の『スター・ウォーズ』を皮切りに、『未知との遭遇』、『スーパーマン』、『エイリアン』などのヒット作が多く製作され、1980年代に入ってからも、『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などが製作された。また、『007シリーズ』もそうした作品に触発され、SF色を増した『007/ムーンレイカー』を製作した。

1970年代半ば以降、『ロッキー』等「アメリカン・ニューシネマ」に代ってサクセスストーリーを描く映画が増加した。

また、『タワーリング・インフェルノ』、『ジョーズ』などの巨額を投じたパニック映画の製作も流行した年代である。

1980年代

1980年代に入り、アメリカや日本西ドイツなどの先進国を中心に爆発的に普及したビデオというメディアは、スタジオにとって新たな収益源となり、ハリウッドビジネスにも大きな影響を与えた。

また、この頃から1990年にかけてアクション映画は全盛期を迎え、シルヴェスター・スタローンアーノルド・シュワルツェネッガーチャック・ノリスなどを始めとするいわゆる肉体派アクション俳優が台頭し、『ランボー』や『コマンドー』などの「ワンマンアーミー」と呼ばれるタイプの主人公が活躍するアクション映画が多数ヒットするようになった。こうしたワンマンアーミー映画の主人公は、ほとんどダメージを受けない、1人で大勢の敵を倒すなど、圧倒的な強さで描かれることが特徴として挙げられる。特に1985年の『ランボー2』のヒットにより、ランボーの亜流B級映画が多数生まれた。同時期にヒットしたアクション映画には、そうしたワンマンアーミー映画のカウンター的作品として公開されたブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』などがある。

1989年ソニーが『スパイダーマン』や『チャーリーズ・エンジェル』シリーズを持つコロンビア ピクチャーズを、翌年にパナソニックが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなどを持つユニバーサル・ピクチャーズを買収するなど、新たな収益源である映像ソフト(ビデオ)権利の入手を目的の1つにした日本企業による大手スタジオの買収が相次いだ。

1990年代

コンピュータグラフィックス(CG)技術の発展により、従来の技術的・費用的限界からの解放が進み、当時最新であったCGを本格的に使用した『ターミネーター2』や『ジュラシックパーク』等が大ヒットした。

社会派監督のスパイク・リーの出現や、クエンティン・タランティーノポール・トーマス・アンダーソンのようなビデオ世代の映画監督が出現したことも特筆すべき事である。

1990年代の半ばには、衰退の域に達していたスパイ映画が再び注目を集めるようになった。中でも『007 ゴールデンアイ』と『ミッション:インポッシブル』は世界的にヒットし、スパイ映画の代名詞的な存在となった。

1997年には『タイタニック』が世界的に大ヒットした。全米では歴代興行収入1位を記録、全世界の歴代興行収入でも1位を獲得し、当時の数々の賞をそうなめにした。

1999年には仮想空間を題材にした『マトリックス』が大ヒットした。『マトリックス』では最新のCGワイヤーアクションを使い大きな話題になった。

1990年代は、アジアから多くの俳優及び監督がハリウッドに進出した時期でもあった。ジャッキー・チェンジェット・リーサモ・ハン・キンポーアン・リージョン・ウー等がいる。

2000年代

コンピュータグラフィックス(CG)技術の更なる発展により『グリーン・デスティニー』、『ハリー・ポッターと賢者の石』、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』、『PLANET OF THE APES/猿の惑星』、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『トランスフォーマー』など大作が幾つも作られた。

しかし、この時代から出演者に対する出演料や製作費の高騰などコストの問題や、日本映画などの外国映画や過去のヒット作の続編・リメイク作品の増加などが顕著となり始めた。

また、デジタルメディアインターネットの普及に伴い、中華人民共和国タイ王国などの、著作権関連の法律の取り締まりが比較的緩い開発途上国における海賊版の横行という新たな問題にも直面している。

2010年代

2008年の『アイアンマン』及び『ダークナイト』の興行及び評価の成功により、アメリカンコミック原作の映画が数多く制作されるようになり、マーベル・シネマティック・ユニバースの成功で各社もユニバース化を計画していったが、何れもMCUほどの成功は収めていない。

2010年代以降、大物俳優のギャラが低下し、CGや大規模なアクションシーンの撮影にお金を費やす傾向が強い。収益の見込めるスタッフによる大作、過去作のリメイク続編リブート、他国の映画のリメイクに加え、比較的経費が少ないドキュメンタリー映画などに頼らざるを得ないのが現状である[要出典]またコスト削減を目的に[要出典][要検証]カナダオーストラリアヨーロッパなどアメリカ合衆国国外で撮影される場合が少なくない。

著作権の保護期間

著作権の保護期間は、他の国では公開後70年となる場合が多いが、米国の場合は少々複雑である。

以下の場合に米国での著作権が消滅し、パブリックドメインとなる。ただし、著作権保護制度や保護期間は国ごとに異なり、米国外では依然として著作権を有する場合がある。米国ではパブリックドメインであるが、日本では著作権の保護があるとして訴えた著名な例として、「ローマの休日」が挙げられる(最終的に日本でもパブリックドメインであることが確認された。ローマの休日#著作権問題も参照)。

上記以外は保護期間が公開後95年となる。

リニュー

1963年以前の作品は著作権標記が入っていても公開から28年以内にリニューを行わないと著作権が失効し、パブリックドメインとなる。リニューを行った場合は保護期間が公開後95年に延長される。リニューが行われた作品のパッケージの著作権標記は、例えば、以下の様になる。

Copyright (C) 1963 Renewed (C) 1991 Wikipetan Films Corp. All Rights Reserved.

1963年以前の作品でパッケージの著作権標記にRenewの文字が見当たらないものはパブリックドメインの可能性が高い(但し、パッケージにRenewの標記があっても実際はリニューされずにパブリックドメインとなったものも多い)。

会社によって姿勢に差があり、20世紀フォックスユニバーサルコロンビア、等は、まめにリニューを行っているのに対し、ワーナーパラマウントMGMユナイテッド・アーティスツ、等はリニューを行わなかったためにパブリックドメインとなった作品が多い。


  1. ^ Leonard-Cushing fight” (英語). アメリカ議会図書館. 2014年1月日閲覧。
  2. ^ Corbett and Courtney before the Kinetograph” (英語). アメリカ議会図書館. 2014年1月日閲覧。
  3. ^ a b Eagan, Daniel (2009-11). “Jeffries-Johnson World's Championship Boxing Contest” (英語). America's Film Legacy: The Authoritative Guide to the Landmark Movies in the National Film Registry. University of Oklahoma Press. p. 22. ISBN 978-0826429773. https://books.google.co.jp/books?id=deq3xI8OmCkC&pg=PA22 
  4. ^ a b c Abel, Richard (2004-8). “sports films” (英語). Encyclopedia of Early Cinema. テイラー&フランシス. p. 875. ISBN 978-0415778565. https://books.google.co.jp/books?id=9cc71Uekc_EC&pg=PA875 
  5. ^ a b Rogers, Will (2000-11). “The Training Ground” (英語). The Papers of Will Rogers: Wild West and Vaudeville, April 1904-September 1908. University of Oklahoma Press. p. 204. ISBN 9780806132679. https://books.google.co.jp/books?id=fV83-1F8-bkC&pg=PA204 
  6. ^ Streible, Dan (2008-4). “Bootlegging” (英語). Fight Pictures: A History of Boxing and Early Cinema. University of California Press. pp. 291–292. ISBN 978-0520250758. https://books.google.co.jp/books?id=Bpc1fk5T5dYC&pg=PA276 
  7. ^ マーベル俳優、家賃払えず”. frontrow. 2021年6月20日閲覧。
  8. ^ SAG”. SAG. 2021年6月20日閲覧。
  9. ^  SAG”. SAG. 2021-06-20 閲覧。
  10. ^ ハリウッド女優 年収ランキング”. BAZZAR. 2021年6月20日閲覧。


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