STS-51-L
名称:STS-51-L
オービター名称:チャレンジャー
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1986年1月28日
宇宙飛行士:フランシス・スコビー/マイケル・スミス/ジュディス・レズニク/エリソン・S・オニヅカ/ロナルド・マクネアー/クリスタ・マコーリフ/グレゴリー・ジャービス
STS-51-Lのチャレンジャーは、固体燃料ブースターロケットの異常が原因で、打ち上げ直後に空中で爆発してしまいました。アメリカの宇宙開発の歴史において2件目の死亡事故です。
乗組員7人の命が失われました。犠牲者のなかには、初めて一般市民から宇宙飛行士としてシャトルに乗りこんだ女性高校教師のクリスタ・マコーリフがふくまれていました。
この悲劇的な事故は全世界の人々に衝撃をあたえ、アメリカの宇宙開発を大きな危機におちいらせました。以後3年近くのあいだスペースシャトルの打ち上げは中断され、徹底的な原因究明と安全性向上のためのスペースシャトルの改良が行われました。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・チャレンジャーは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(チャレンジャー)と、それを打上げるための固体燃料ブースターロケット2基、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全体の長さは56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打ち上げられました。しかし、発射から73秒後、ブースターロケットに異常が発生し、スペースシャトルは空中爆発してしまいました。
3.宇宙飛行の目的は?
宇宙飛行に役立てるためNASAの通信衛星と、ハレー彗星を観測するためのスパルタン衛星を宇宙に運ぶことや、初めて一般市民として教師が搭乗し宇宙授業を実施することでした。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
打ち上げ直後に爆発してしまいました。
※参考文献:「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)、「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)
STS-51-L
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:06 UTC 版)
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徽章
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | STS-51L | ||||
シャトル | チャレンジャー | ||||
乗員数 | 7 | ||||
発射台 | 39-B | ||||
打上げ日時 | 1986年1月28日 11:38AM EST | ||||
着陸または着水日時 | 1986年2月3日 12:12PM EST (予定) | ||||
ミッション期間 | 1分 13秒 | ||||
周回数 | 0 | ||||
高度 | 278 km (予定) | ||||
軌道傾斜角 | 28.5° (予定) | ||||
航行距離 | 29 km | ||||
乗員写真 | |||||
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年表 | |||||
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STS-51Lは、1986年1月28日に行われた、スペースシャトルチャレンジャーのミッションである。スペースシャトルのミッションとしては25回目で、チャレンジャーとしては10回目。ケネディ宇宙センター発射施設39-Bからのシャトルの初打上げであった。
アメリカ合衆国では初のアジア系宇宙飛行士である、日系人のエリソン・オニヅカ、初の民間人宇宙飛行士で高校教師クリスタ・マコーリフ、初の黒人宇宙飛行士ロナルド・マクネイアらが搭乗して大きな注目を集めていた。
しかし発射から73秒後に空中分解を起こして、乗組員全員が死亡する大惨事となった。
機体全体が分解した後も、2基の固体燃料補助ロケット(SRB)は無制御で飛行を続けていたが、こちらは110秒後に地上からの自爆指令により破壊された。
搭乗員
主な搭載ペイロード
事故
脚注
注釈
出典
関連項目
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