5歳で樋口フジに弟子入り、瞽女となるとは? わかりやすく解説

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5歳で樋口フジに弟子入り、瞽女となる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:17 UTC 版)

小林ハル」の記事における「5歳で樋口フジに弟子入り、瞽女となる」の解説

1905年明治38年3月樋口フジ正式に弟子入り21年間の年季修行をする約束交わされハル親族その間経費稽古料を先払いした。さらに21年年季が明けるより前にハル不都合原因弟子辞めた場合には「縁切り金」と呼ばれる違約金支払うことも取り決められた。ハルには「スミ」という瞽女名が与えられた。 修行実家稽古を受け、巡業の時だけ家を離れるという形態行われた稽古始まったのは1907年明治40年)夏のことで、最初課題は『岡崎女郎衆いい女』を三味線を弾きながら唄うことであった当時ハル4、5歳児に見えぬほど小柄大人用三味線扱えず、子供用三味線を膝の上置いた乗せてようやく弾くことができた。稽古始めて間もなく弦を抑える左手の指(人差し指中指薬指)の皮が破れ出血した痛みに耐えかねたハル母親泣きついたが、母親は「指が痛くて三味線を習うのができぬようでは、唄だってうたうことはできない。そんな指の痛さ我慢できないような奴は、川に投げてくる」と言って家の近く流れ信濃川連れて行こうとしたり、食事与えなかったりした。ハルは「痛くても、痛くないふり」をして稽古続けた。 「寒声」を出す訓練もこの時期から始めた寒声とは、冬の寒い時期発声練習をすることで得られる瞽女独自の発声法のことで。出血するほど喉を痛め、声が出ない状態で発声練習続けると、「ほんとうの声」、「長い語り耐える変わらぬ声」を身に付けることができるとされる。冬になると毎日早朝夜に信濃川土手出て訓練をした。「厚着をしたり足袋を履いたりすれば身体温かくても声は出やせん」という理由で、薄着の上素足草鞋履きという格好させられた。足には指が腫れ上がるほどのしもやけができたが、一生懸命に唄うと体温まり風邪をひくことはなかったという。ハルはこの寒稽古を、母親死別した年を除き14年間にわたり毎年1か月間行った。ハル寒稽古について「本当にいやだった」と振り返っている。ハルの唄はやがて、鎮守神奉納するまでに上達した1908年明治41年)春、ハル初めて自らの意思外出することを許可された。巡業備え、外を歩くことに慣れさせておくようにという樋口フジ指示よるものであったそれまで友達と遊ぶことなど知らなかったし、わかんなかった」、「遊びたい盛りだといわれても、私は遊んだとがないし、第一、遊ぶということはどういうことか、それすら知らなかったハルであったが、外出許されたことで、同じの子供とも遊ぶようになったその中でハル自分盲目であることを認識していくことになる。花を摘んで遊んだ時、他の子供が赤い花選んで摘んでいたのに、色の識別できないハルだけが他の色の花を混ぜて摘んだ。「ハルは目がみえないから色がわからない」という主旨のことを言われたが意味が理解できず、家に帰って母親尋ねてところ、母親は声を出して泣き出した母親ハルに色の概念教え盲目ハルには農作業ができず嫁にも行けないこと、三味線覚え瞽女として生きて行く必要がある諭した。その声は震えていたが、当時ハルには母親何を悲しんでいるのか理解できなかった。 新潟県では当時すでに盲教育が行われるようになっていたが、学齢期迎えたハル通学することはなかった。母親ハルを「お前は目が見えないから学校には行かれないのだ。学校勉強するかわりにお前は、三味線や唄の稽古をすれば、学校行った人と同じよう生きていけるはずだ」と諭した1908年明治41年11月ハル師匠樋口フジ姉弟2人とともに初め巡業出た大叔父は「縁切り金をとられるようなことがあったら、お前は家の恥さらしだ。帰ってきても家には入れないからそう思え」と告げてハル送り出した出発前夜母親ハル次のように言い聞かせたという。 ハル、いいか、旅に出ることは、瞽女としての仕事に出ることだぞ、これから師匠を『お母さん』と呼んで一生懸命務めるのだ、手が冷たくていやだとか、どんなことがあっても家に帰りたいなんて、言ってはならんぞ。そんなことを言ったりしたら『縁切り金』をとられてしまうのだ。つらいときはじっと我慢して神さま仏さまお力を待つのだ。決して口ごたえなぞしてはならんぞ、お前は、言われたことを『はい、はい』と言って努めなければならんのだ。それがこれから瞽女仕事なのだ。 — 小林・川200532頁。 ハル実際にフジからの様々な仕打ちに耐えなければならなかった。小柄なハルフジの分を合わせて2人分荷物を担ぐ姿に人が同情すると、「重そうに担ぐからだ。おらのせいだと思わせたいのか」と怒られハルの唄が褒められると「そんなに褒められたいのなら、あの家の子になれ」と嫌味言われた。食事の際、フジ姉弟子がおかずを食べても、ハルだけはご飯みそ汁漬物しか食べることが許されなかった。実家宿泊代を出して旅行行った際も、フジハルにはおかずを食べさせず、部屋持ち帰って自分夜食にしてしまった。谷にかかった一本橋を渡る際には「落ちて死んでもいいぞ、死ねば、家の者が喜んで迎えに来るだろう」と言い放ちハル祝儀多く貰うと、褒めどころか「これはどこからか盗んできたろう」、「お前みたいに唄の下手なものが、こんなに稼げわけはない」などと難癖をつけ、打ち据えた八十里越呼ばれる難所越えて会津向かった際には、自分姉弟子の荷物は人に運ばせてハルだけに荷物を運ばせ、「おまえはろくに唄もうたえないし、目だって見えないそういう者は馬のかわりだ」と罵ったフジハルへの接し方について川野己は、瞽女世界には組織秩序維持するための厳し戒律上下関係があるとしながらも、「平常心持主なのかという疑い怒りすら感じる」、「何かにつけて、家に追い返して、『この子は、瞽女として務まらないから』と『縁切り金』を出させる口実探すのである」と評している。同様に下重暁子は、フジには「非をみつけ、実家から縁切り金をむしりとろうという魂胆があった」と、放送作家本間章子は、「軟弱なハル容貌では、すぐに音をあげる」と読んだフジは「『縁切り金』を当てにしていた」のであってフジにとってハルは「金もうけ道具」に過ぎなかったと指摘するハル自身フジについて、「無理な課題いいつけては、いやだといえば家へ帰して金をとることばっかり考えている親方だった」と語っている。ハルが「おこり」と呼ばれる熱病にかかり、巡業ついていくのもままならなくなったことがあった。姉弟子の一人フジに「これでは商売ならない。家の人に迎えにきてもらったどうだろうね」と進言したが、フジは「歩けるだけ歩かせて、勤まらない迎えにきてもらうのはいいが、具合の悪いのを帰して理由ならないそうせば縁切り金だってとれないと言って拒んだハルフジについて、「間違ったことをしたらちゃんと教えてくれればいいものを、すぐ棒をもってはたかれたり、こわい音を出してなられた」と回顧している。次のような出来事もあった。1911年明治44年)夏に会津地方従業中、ハル宿泊先農家フジ教えていない唄を唄ったフジはそれが気に入らず翌日別のへ向かう途中でハル山中置き去りにした。山中一夜を明かす羽目になったハル一睡もできず大叔父から教わった真言唱え続けた翌朝、山へ入ってきた村人発見されハル置き去りにされた理由分からないままフジのもとへ連れて行かれた。村人フジとの会話から理由悟ったハル土下座して謝りフジ教わっていない唄は二度とわないと誓いようやく許された。ハルはこの仕打ちを「私がいい気になってうたったからいけなかったのだろう」とする一方、「まだ旅の仕事をするようになって2年ぐらいしか経っていない1011小娘だもの、ものの道理がわかるはずがないのに、何の理由告げずに山の中に置き去りにするのは、あまりにもひどすぎるお仕置だ」と振り、「自分弟子を持つようになったときには弟子には優しくしてやろう」と思うようになった語っている。またこの一件以来ハルは山の中に入るとまた置き去りされるのではないか怯えるようになった12歳時に初潮迎えると、生理痛悩まされるようになったハルは元々頭痛もちであったが、生理痛重なると症状が一層ひどくなった。また、この頃から夜這い警戒をしなければならなくなったハルは膝を縛って寝たり編み物をして眠らないようにするといった自衛策をとった。瞽女世界には、万が一夜這いをされて子供ができるとコミュニティから追放される掟があった。入広瀬村では宿に忍び込んできた男に「用を足さないならおまえを殺す」と脅され、「それなら、殺してみろ!」とすごみ返して追い払ったことがある。男は腹いせ三味線を傷つけていった年頃になると、ハルのもとには縁談持ち込まれるようになったが、応じことはなかった。大きな理由のひとつは後述する局部怪我だが、巡業中に夜這い危険に晒されていた経験から男性対し不信感抱いていたことも影響していた。ただし後に弟子をとるようになると、弟子には結婚勧めたハル身持ちが固かったが、ハツジサワの弟子となって後述)からつわりに似た症状見舞われ妊娠疑われことがある産婦人科妊娠していないという診断得ても「医者が嘘を言っているのでは」と疑われ、「この人はそんなことをする人ではない。この人をいじめるとバチがあたる」という妙見菩薩お告げ得てようやく信用された。

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