5歳から引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:23 UTC 版)
「ロツキータイガー」の記事における「5歳から引退まで」の解説
明けて5歳になっても勢いは衰えず、報知グランプリカップ・金盃・ダイオライト記念・帝王賞を優勝。前年秋の「いちょう賞」から数えて通算6連勝(重賞は5連勝)を記録した。 その後2戦連続3着の後、当時地方競馬所属馬に対して1頭の招待枠が設けられていたジャパンカップの出走権を争うべく、第22回東京記念に出走する。4歳秋から上昇一途のロツキータイガーと、当時既に5000勝を記録していた佐々木竹見に乗り替わって5戦3勝2着2回のテツノカチドキがジャパンカップの出走権を懸けて激突したこのレースは、後に「名勝負」として語り継がれるレースとなった。レースは逃げるハードスキーをトムカウントが追いかける展開で、テツノカチドキは中団の好位で先頭をマーク、ロツキータイガーは後方からレースを進める。向正面から一気にペースが早まりテツノカチドキが動き出すと、第4コーナーを回るころにはロツキータイガーも伸びてくる。最後の直線では残り200mあたりから内ロツキータイガー、外テツノカチドキの2頭が馬体をピタリと併せてのマッチレースとなり、壮絶な叩き合いの末に2頭がゴールへなだれ込む。写真判定の結果アタマ差でロツキータイガーが制し、ジャパンカップの出走権を獲得した。 こうして出走した第5回ジャパンカップには、絶対的本命と目されていたシンボリルドルフが出走していた事もあり単勝人気は15頭中11番人気の低評価だった。馬券的には全く期待されておらず、勝負とは関係ないと思われていたが、陣営や関係者らは真剣にジャパンカップを戦おうとしていた。蹄鉄も通常使用しているものではなく芝用の蹄鉄に打ち替えることも関係者間で検討されたが、結局「普段着の競馬で」との意見で合意、通常使用している蹄鉄を使うことになった。東京競馬場で行われた公開追い切りの際はコースに出ず、角馬場でひたすら入念にダクを踏んでいた。桑島はこのときのことについて、後に「カリカリするし、環境だけ覚えてくれればいいと思って…」と語っていたとされる。 ジャパンカップのレース本番も、桑島は普段どおりの競馬を徹底した。シンボリルドルフが直線で力強く抜け出し後続馬を引き離していく中、後方からただ1頭猛然と追い込んできたのがロツキータイガーだった。結果1馬身3/4及ばなかったが、地方競馬所属馬ではジャパンカップでの最高着順となる2着となり、結局この1戦のみだった芝にも高い適性を見せた。 ジャパンカップ後は東京大賞典に出走したがスズユウの2着に敗れ、この年は9戦5勝で終えた。明けて6歳時は4戦未勝利に終わり、1987年1月21日に登録を抹消し引退。
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