5歳〜天皇賞制覇まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:12 UTC 版)
15戦した4歳時の前年とは打って変わり、5歳になった1978年はゆったりとしたローテーションで使われた。復帰戦のサンケイ大阪杯は8着に終わったが、母が2連覇したマイラーズカップで二冠牝馬・インターグロリアの2着に入ったが、春はこの2戦だけで終えた。秋に復帰して京都のオープンを9着・2着となった後、母が勝った天皇賞(秋)に出走。この年の天皇賞(秋)は予想外のアクシデントから始まった。枠入り直後にパワーシンボリがゲートに噛みついてスタートできず、発走やり直し(カンパイ)という珍事が発生。ゲートから出た馬たちを呼び戻し、発走前のファンファーレから再びやり直しとなった。再スタートとなったレースではスタートを待つ間に興奮してしまい、郷原の豪腕をもってしても制御が利かない状態となったプレストウコウが、1周目のスタンド前の大歓声に興奮して止むなく暴走気味の大逃げを打つ波乱の展開となった。向正面で10馬身近い差を付けたプレストウコウはその差を利用しての粘り込みを図るが、菊花賞とは逆にゴール前でテンメイが半馬身差交わし優勝。初重賞制覇が天皇賞となると共に、史上初の母子天皇賞制覇を成し遂げた。同一馬主・同一調教師・同一騎手による勝利となったほか、母と同じ大外12番枠スタートからの半馬身差勝利という偶然も重なった。
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