天皇賞制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:55 UTC 版)
この年の秋初戦は京阪盃で、64キロのトップハンデを背負い、55キロのコウライオーから1馬身差の2着になった。10月の末には中山競馬場へ遠征し、不良馬場で行われたオールカマーで62.5キロのトップハンデで出走した。トップハンデとはいえ関西馬ということで評価は低く7番人気だった。レースでは4歳牝馬のミオソチスが51キロの軽量を活かして勝ち、リュウフォーレルは3着だった。 満を持して11月末の天皇賞に出ると、重賞3連勝中のヤマノオー、昨秋の菊花賞馬ヒロキミを抑えて本命に支持された。2番人気は、昨秋菊花賞のあと休養をとり、春シーズンを全休してきたヒカルポーラで、近走はオープンを2連勝していた。 レースでは直線でリュウフォーレルが抜けだした所へ後方からヒカルポーラが追い込んで並び、この2頭の競り合いとなった。最後はリュウフォーレルがクビ一つ前に出てゴール、1955年のダイナナホウシユウ以来8年振りに関西馬による秋の天皇賞優勝となった。走破タイムの3分22秒7は春の天皇賞の時より0.1秒早く、当時の東京競馬場芝3200メートルのレコードタイムであった。ヒカルポーラも関西馬だったので、関西馬による1、2着独占となったが、これも8年ぶりのことだった。
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