4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 01:02 UTC 版)
ダービー出走が叶わなかったロイスアンドロイスは次の未勝利戦で後藤浩輝とのコンビで挑み、5馬身差の圧勝で8戦目で待望の初勝利を挙げた。 その後、ロイスアンドロイスはラジオたんぱ賞 では3着、自己条件の500万円以下条件戦でも2戦連続で2着と勝ちきれないレースが続いたが、菊花賞トライアルのセントライト記念で2着に入り、1勝馬の身で菊花賞に参戦する事になった。 横山典弘とのコンビで挑んだ菊花賞ではビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンに次ぐ4番人気(複勝は3番人気)に支持された。レースでは道中、中団を進んだが伸び切れず、勝ったビワハヤヒデから1.8秒離された7着に終わった。 菊花賞後、ロイスアンドロイスは12月に1500万円以下条件戦の冬至ステークスに出走したが5着に敗れ、この年を終えている。
※この「4歳秋」の解説は、「ロイスアンドロイス」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「ロイスアンドロイス」の記事については、「ロイスアンドロイス」の概要を参照ください。
4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 00:06 UTC 版)
秋になり郷原洋行を鞍上に迎えたプレストウコウは本格化した。京王杯オータムハンデキャップで古馬を相手にカシュウチカラの2着に入ると、セントライト記念と京都新聞杯を連勝(京都新聞杯はレコードタイムでの優勝)した。重賞2連勝で勢いに乗るプレストウコウは、単枠指定を受け菊花賞に出走した。 ところが、両親が短距離血統、レコード勝ちの反動、芦毛馬がクラシック未勝利といった要素が悪影響を及ぼし、オッズは同じく単枠指定を受けたラッキールーラはおろかマーブルペンタスより下の単勝3番人気に過ぎなかったが、レースではラッキールーラが直線で伸びを欠くのを尻目に、最後の直線でテンメイを4分の3馬身差で抑え、前走に続きレコードタイムで優勝した。プレストウコウが負かした相手が、名牝の誉れ高いトウメイ(年度代表馬になった関西馬)の息子であるテンメイであったため、関西のスポーツ新聞から、ヒールとして名を馳せたプロレスラー、フレッド・ブラッシーのニックネームと同じ「銀髪鬼」というニックネームを付けられることとなった。 続く有馬記念は、マルゼンスキーが脚部不安で引退したため、4歳世代の代表として出走したが、TTGにまったく歯が立たず勝ったテンポイントから1秒2も離された4着に敗れた。このレースのテンポイントとのタイム差は日本短波賞の時のマルゼンスキーとのタイム差とほぼ同じであった。 プレストウコウは菊花賞の勝利が評価され、優駿賞最優秀4歳牡馬に選出された。
※この「4歳秋」の解説は、「プレストウコウ」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「プレストウコウ」の記事については、「プレストウコウ」の概要を参照ください。
4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:28 UTC 版)
秋は初戦の神戸新聞杯こそ8着に終わったが、続く京都大賞典ではダンスパートナー相手に勝利をおさめ、菊花賞の有力候補に挙がった。だが、菊花賞では1番人気に推されながら5着に敗れ、続くジャパンカップでも5着に終わり、掲示板には載るものの勝てないレースが続いた。 しかし、1997年12月21日の有馬記念にて、直線コースでのマーベラスサンデー、エアグルーヴの叩き合いに突如割って入るか如く2頭を抜き去り1着入線、「初にして唯一」のGI制覇を果たす。それまでのGIでは惜敗続きだったが、藤田はずっと「この馬が一番強い」と信じ続け、その想いが実った勝利となった。
※この「4歳秋」の解説は、「シルクジャスティス」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「シルクジャスティス」の記事については、「シルクジャスティス」の概要を参照ください。
4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:16 UTC 版)
秋初戦となったのはセントライト記念。ここで単枠指定で単勝1.3倍の1番人気に推される。ところが伏兵ストロングカイザーの3着と敗れ、菊花賞に向け不安を残す結果となった。 菊花賞では単勝3番人気にとどまる。良馬場で行われたレースは1000mの通過タイムが62.3、2000mが2:10.2という超スローペースになる中で、直線に入ると先頭に立ち、外から追い込むイブキマイカグラを1馬身半差振り切って優勝した。 菊花賞後、陣営は有馬記念を次走に見定めていたが、レース前に屈腱炎を発症し、長期休養に入った。
※この「4歳秋」の解説は、「レオダーバン」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「レオダーバン」の記事については、「レオダーバン」の概要を参照ください。
4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:07 UTC 版)
秋初戦となったセントライト記念で再び柴田が騎乗する事になったホワイトストーンは単枠指定の1番人気に応え1着となり、未勝利戦以来の勝利を挙げた。クラシック最終戦の菊花賞では2番人気に推されたが、メジロマックイーンを捉え切れず2着に惜敗した。 ジャパンカップでは5番人気だったが、南半球最強馬ベタールースンアップ、北米の強豪カコイーシーズ、フランスのオードに続き、日本馬で最先着の4着と健闘した。 有馬記念では、ジャパンカップでの好走もあって1番人気に支持されたが、ラストランを勝利で飾ったオグリキャップから約1馬身離れた3着に敗れた(レースに関する詳細については第10回ジャパンカップを参照)。
※この「4歳秋」の解説は、「ホワイトストーン」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「ホワイトストーン」の記事については、「ホワイトストーン」の概要を参照ください。
4歳秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 16:42 UTC 版)
春のクラシックレースに出走できなかったネーハイシーザーは京都競馬場で行われた中日スポーツ賞4歳ステークスに出走した。8番人気だったが、ダイタクヘリオスが保持していた芝1800mの日本レコードを更新する1分45秒2のレコードタイムで重賞初制覇を飾った。 神戸新聞杯ではビワハヤヒデに敗れはしたものの2着となり、クラシック最終戦の菊花賞を迎えた。しかし、菊花賞ではレース中に心房細動を発症し、勝ったビワハヤヒデから遅れること約40秒、肺出血による調整不足でレースにならなかった17着のナリタタイシンからも更に約30秒遅れるという大差の殿負けを喫して、この年を終えている。
※この「4歳秋」の解説は、「ネーハイシーザー」の解説の一部です。
「4歳秋」を含む「ネーハイシーザー」の記事については、「ネーハイシーザー」の概要を参照ください。
- 4歳秋のページへのリンク