非ショー的側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:25 UTC 版)
詳細は「ガチンコ」を参照 プロレスはワンマッチで興行をこなし、そのためトーナメントなどの完全なる真剣勝負や競技スポーツとは相違があるため、同様の技を常人が受けた場合に危険が生じる行為は意図的に避けられている。例えばK1・キックボクシングやフルコンタクト空手などの立ち技格闘技のように蹴り技では相手選手の局部以外の急所を狙う(膝へのローキックなど)のはルール上許されても、鍛えた筋肉で守られ怪我をする恐れが少ない部分をめがけ、力を込めて蹴りをいれる場合が大半であるほか、反則行為ともされている素手でのパンチの場合も、拳骨部を当てると顔が腫れ上がったり、自身の拳も含めて骨折などの怪我を誘発する恐れがあり危険であるため、寸止めなど何らかの制御が普通である。 ジャンボ鶴田はルー・テーズに学んだバックドロップでは落下の際、右足を流すことも多かった。右足が流れる理由を後年、『そうしないと、怪我人が出ちゃうから』としていた。これはハーリー・レイスにしっかりと両足をつけて見舞ったところ、食らったレイスが試合後激怒された事からで、このときレイスは『あんなこと、この場でもう一度、俺にやれるのか』と、鶴田の控室まで乗り込んで来たという。 ただし、プロレスラーが受けてもタイミングの狂いなどから危険が生じることは時々ある。スタン・ハンセンはブルーノ・サンマルチノの首をボディスラムのかけ損ないで骨折させたことがあり、のちにハンセン自身も相手攻撃で失神してしまったことがある。このほか天龍源一郎、ミスター珍、マリオ・ミラノ、ザ・マミーなど、試合中に失神してしまった例は多い。 ハワイで行われたルー・テーズ対力道山戦でもテーズのリバース・スラムで力道山が失神したとされ、三本勝負が一本だけで終了となったが、その後テーズは大木金太郎戦で大木を、寺西勇とのエキジビションで寺西を、力道山も木村政彦戦で木村を失神させたことが知られる。 またテーズは対グレート草津戦で草津を意図的にノックアウトさせるバックドロップを仕掛け、草津を失神させたとしている。草津はその後も対モンゴリアン・ストンパー戦でストンパーのスリーパー・ホールドで失神したとされる。 吉村道明もカール・クラウザー(カール・ゴッチ)のジャーマン・スープレックスやキラー・カール・コックスのブレーンバスターで失神したとされ、ジャイアント馬場もアルバート・トーレスのフライングヘッドシザーズホイップで、またスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディのツープラトン・パイルドライバーでノックアウトされており、特に後者は馬場の連続試合出場がストップした試合でもあるが、自身も前述のとおりミスター珍を失神させている。 マンド・ゲレロも藤波辰爾のドラゴン・スープレックスで失神して、以後WWF(からも1982年に3年間(1985年まで)禁じ手とする旨の要請を受けて、同技は封印された。 ただし上記の事項については一部はショー的側面、ふりをしていたとする見解もあり、真意は定かではないものもある。 たとえばスリーパー・ホールドで相手選手を失神させることも多かったアントニオ猪木の場合、自身の失神はハルク・ホーガンとの一戦が挙げられたりするが、スティーブ・ウイリアムスとの一戦でも、序盤早々猪木が失神したとされている。 猪木はタイガー・ジェット・シンとに対戦で、エル・トレオの一本目に猪木がシンのコブラシザース(首4の字)で失神して取られている。同年に実施したシリーズ開幕戦メインの長州力と組んだタッグマッチでも三本勝負で一本目は長州が失神、二本目は猪木がシンにコブラシザースで両者リングアウトに持ち込まれたが、これまた失神。こうして翌週の試合前には、コブラシザースに一分以上耐えきった者には賞金を進呈するとパートナーの上田馬之助を相手にデモンストレーションさせ、実際シリーズ中に坂口征二がコブラシザースを一分以上耐え切っている。 一方で三沢光晴は業界一の受身の達人といわれていたがバックドロップの受け損ないで死亡しているが、他にもJWPのプラム麻里子や新日本プロレスの福田雅一などの例や、馳浩も試合での受け身の取りそこねで試合後に心肺停止したことがある。 佐山聡によれば、多くのプロレス技は「暗黙の了解」がなければかかるようなものではなく、かつ格闘技には使えないものであると断じている。一方で桜庭和志のように総合格闘技でプロレス技を繰り出す選手もいるほか、総合格闘技や他格闘技で使用されていた技がプロレス技となって知られ定着するものも多くある。 また、本質は真剣勝負ではないとしても試合中に本気になってしまう場合など、それに近い試合が行われてしまうことはある。以下に例を挙げる。 小川直也対橋本真也は「シュート」(演劇的要素を無視した試合)に近いものであり試合中は本気のパンチを当てていた(相手にかけた関節技を自ら解くなど、完全な真剣勝負ではない)。特に1999年1月4日での試合は師であるアントニオ猪木から「一方的に蹴りまくって、最後は蹴って、リングから出すまでやれ」といわれていた。 タッグマッチ中にエル・サムライが大谷晋二郎による顔面への攻撃に本気で怒り大谷を追い掛け回した挙句、味方である獣神サンダー・ライガーにそれを止められている[要出典]。サムライは1997年の6人タッグマッチでも今度は大谷ではなく金本浩二と延々と場外で乱闘を繰り広げているが、このときは金本がサムライのマスクの新デザインを馬鹿にしたことへの報復とされる。 前田日明はアンドレ・ザ・ジャイアントが本気で危険な技をかけてきたのに対して、関節部への危険な蹴りを多発した(無効試合)。前田はデビュー間もないころに段々熱くなって喧嘩に限りなく近い試合になることがあったとし、実際にも1979年に対戦相手のサイレント・マクニーが、タイガー・ジェット・シンにそそのかされてシュートを仕掛けられた際に不穏試合と化したが、返り討ちにしていることが知られる(試合結果自体は10分時間切れ)。マクニー戦がセメントマッチとなってしまったことについては後年自分らがプロレスの世界に入った頃は相手が技を受けない場合はやってもいいと、当たり前に言われていたという。一方で自らも1985年のスーパータイガー戦で周囲にそそのかされて不穏マッチを敢行している。 星野勘太郎と藤原喜明はタッグマッチで、相手のヘラクレス・ローンホークが酷過ぎてリング上でブックを無視して制裁を食らわせている。星野と藤原に代わる代わる痛めつけられたローンホークは試合途中で控室へ遁走。さらに巡業からも逃亡しアメリカ合衆国大使館にまで駆け込む始末。ただし大使館に逃げ込むも大使館員に職業をプロレスラーと伝えたら、当然呆れられて追い返されたという。ローンホークは結局新日からの報酬も受け取らず母国へ帰国するはめになる。 星野勘太郎は他にダイナマイト・キッドとの一戦で、キッドの打撃攻撃から不穏マッチと化した試合を行っており(最後はキッドのフォール勝ちに収める)、キッドも自伝の中で紹介している。 ジャンボ鶴田はタッグマッチでの試合中相手の仲野信市がコーナー最上段から放ったキックが自身の顔面を直撃してから明らかに顔色が変わり、仲野を力づくでマットに叩きつけるとジャンピングニーパッドを鋭角的にアゴにヒットさせ、最後は危険な角度のバックドロップで投げ捨て、仲野をノックアウトしてしまったことが知られる。鶴田は1990年前後にはライバル選手から本気にさせるといわれて、天龍源一郎や三沢光晴らに試合で度々意図的にキレさせられる攻撃を受けており、その都度相手を叩きのめす攻撃を敢行している。 小林邦昭も保永昇男と組み、高田延彦、山崎一夫とのタッグマッチで山崎が小林に顔面を殴ってみろと突如挑発激昂し試合の流れを無視してケンカマッチの様相になり、セコンドが止める事態が起こった。小林は山崎が突っかかってきたことについて、以前にタッグで山崎と闘った時に感情的に違和感があり、その流れで当日試合で爆発したという感じがしているという。当日決してそうした試合になるという予感はなかったが、試合の途中でスイッチが入ったのではないかとみている。 1990年のビッグバン・ベイダーvsスタン・ハンセンについても、過去に両者はメキシコで揉めていたらしく、同年2月10日に行われた'90スーパーファイトIN闘強導夢での対戦では試合が始まると、先に入場したハンセンがベイダーの入場時に奇襲を掛けるなど、試合前から荒れ模様の2人はゴングと同時に凄まじい殴り合い状態であったが、アクシデントかもみ合う内にハンセンのエルボーがベイダーの右目に直撃。そこでベイダーはグラウンドに引き込んだが今度は負傷した右目をハンセンがグラウンドでサミングを仕掛ける。ベイダーは脇固め気味にハンセンを押さえ込んでいたのをおもむろにグランドを解くと、ベイダーが突然マスクを脱ぐ。ベイダーの右目が腫れ上がっており、オーロラビジョンにベイダーの顔が映し出されると、青く変色した右目があらわになっていた(結果は両者リングアウト)。その後6月に福岡で行われた再戦でもハンセンが再び目を攻撃するなど同様の状況に陥り、ブッカーであったマサ斎藤はご立腹であったというが、この一連の対戦でベイダーには世界中からオファーが殺到。ただし負傷した目を6度も手術する羽目にもなる。 1999年にDDTで起こったスーパー宇宙パワー(木村浩一郎)、黒影対アイスマン(菊澤光信)、加藤茂郎戦では、NeoDDTのタッグチームである菊池加藤コンビと戦っていた黒影がわざと負けるという試合で、このとき彼はNeoDDTに味方する裏切り者というアングルであったが、事前に事を聞かされていない木村が大激怒。わざと負けるという行為をした黒影に木村は試合後リング上で黒影の腕を捻る様に破壊。その後黒影は脱臼癖がつき、試合中に戦闘不能になることも多く欠場や復帰してまた脱臼を繰り返して、他団体に活路を見出す。 上田馬之助はかつてダニー・ホッジ相手にアームロックで動けなくさせ、恥をかかされたホッジが激怒したというエピソードを持っている。 リングスでの試合は選手によってはすべて非ショー的試合であったとインタビューで証言している。 試合中の細かい点までは決めないプロレス団体も多く、気性の荒い者たちによる試合中のトラブルは時々見られる。
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