逸見学級委員長時代
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「平成教育委員会」の記事における「逸見学級委員長時代」の解説
特筆すべき点として、助手が解答者と一緒に解答する点が特徴的である。当時は、「教師」役である司会の北野武と、「学級委員長」役で助手の逸見政孝が番組を仕切っており、「学級委員長」役の逸見も問題に解答者として参加していた。各教科の例題などでは、逸見は北野と共に例題の解説などの進行を務め、本問に移ると自席に戻り、自席にある「ただいま考え中」の札を上げて他の生徒と共に解答に専念するという、他のクイズ番組では例のない役割を担っていた。そのため、進行者としての逸見が、解答者としての逸見自身に言及する場合がしばしばあったが、その場合は他の生徒に対しての呼び方と同じように「逸見君」の呼称を用いた(例:『この時間のたけしおとしは、逸見君に差し上げます』)。 各コーナーは学校に倣って「○時間目」と呼び、レギュラー放送では4時間目まで用意されている。各時間には「国語」「理科」「社会」「算数」などの教科名がついており、それに沿った出題がなされる。 各時間で成績が優秀な生徒は「たけしおとし」という、天神様(菅原道真)を模した北野の人形を、ダルマ落としのように横に輪切りしたパーツを下部より獲得(全員の成績が振るわなかった場合には誰にも与えられないこともある)。このパーツを下より重ね、10個すべて集めて人形を完成させると世界一周留学の旅を獲得することができる。なお、当初言及されたのは10個(胸・首・口・鼻・目・眉・頭・帽子・杓・「合格」と書かれた扇子)だったが、北野が世界留学を引き延ばすために次々と要素を加え、初代はさらに「レイ・メガネ・ホクロ・扇子の裏に『えらい』と書き加えられる」の+4段階、2代目は「横に立てる鉛筆・消しゴム・『えらい』の鉢巻」の+3段階、北野の事故復帰後の3代目は当初は「眼帯」の+1段階、後に2代目と同じ要素で+3段階となった。 全教科の解答を終えて、その日の正解数がトップの生徒、もしくは2番手以降でも先生の裁量で1人が「優等生」として、番組オリジナルブレザーが授与される。初の優等生は藤原弘達であった(北野曰く「早めにあげておかないと、あげられなくなっちゃうかもしれないから」)。 番組内では、生徒役の解答者は基本的に全員、学校に倣って「○○君」と呼ばれる。北野・逸見よりも年上、なおかつベテラン・大御所クラスのキャリアを持つ生徒であっても"君付け"で呼ぶなど徹底しており、生徒の答えをマルチモニターに映す際にも勉強小僧が「○○君の答え」と言ってから画面が切り替わって映し出されていた。 出題内容は、実際に使用された国・公・私立中学校入試問題から一般企業入社試験、公務員試験、番組オリジナルの問題まで多岐に亘る。後に放送されることになる特別番組や兄弟番組『教育学院』よりも、「国語・算数(数学ではない)・理科・社会」といった、「国・公・私立中学校入試問題」「小学校の実力テスト」レベルの、義務教育で当然教わっているような問題が重点的に出題されていた。また、解答できないことによるジレンマ、先生・学級委員長と生徒とのギャグの応酬も特徴であった。時折、本問の前に過去の珍解答が引き合いに出されることもあった。 番組開始からしばらくは前述のような科目で構成されていたが、1992年9月26日の放送から、1時間目の前にオープニングコーナーとして○×問題が5問連続で出題される「小テスト」が実施されるようになった。全問正解か全問不正解の場合は番組特製バッジが貰える(後に腕時計も加わり、バッジの在庫が無くなってからは腕時計のみとなった)。1993年秋にはこれに代わり小学校入試で出された問題(幼稚園児が解くように作られた問題)が3問出題されるようになり、全問正解で「ちょうだい!」カードがもらえるように変更された。この「ちょうだい!」カードは教科別の成績で最高得点者が2人以上居た場合にその人が提示した場合にたけしおとしを貰えるものである(各教科ごとでたけしおとしを誰にあげるか検討する時にカードを使わず、総合成績発表の際にカードを提示して優等生に選んでもらうという使い方をした例もある)。 番組放送開始から3回目の1991年11月2日の放送後、フジテレビ系列で独占中継している『ワールドカップバレーボール』中継に伴い、4週間連続で番組休止となった。1992年と1993年の『FNSの日』(後の『FNS27時間テレビ』)は平成教育委員会メインとして『平成教育テレビ』が放送され、1995年まで平成教育委員会の雰囲気を残し制作された。当時のフジテレビの番組対抗特番であった『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』のBブロックの全問題の出題を、1992年春から1994年春まで担当した。1996年春・秋に放送された『FNS超テレビの祭典』もこの番組をメインとして放送された。 なお当時の特番では、授業の合い間の「給食」で立食パーティー風の軽食をとる形式をとっていた。 国語を得意とする逸見が国語の問題で不正解であると、生徒である高田文夫・渡嘉敷勝男・太平サブローなどに突っ込まれると言う「図式」で、笑いを誘い番組を盛り上げていた。逸見は国語と社会を得意とする一方で、算数を相当苦手としていた。逆に北野は国語を苦手としており、うっかり大ヒントを口走ってしまったり、正解ではないと思ってオープンした解答が、実は正解であったと言うケースが多々あった。 国語の時間に「次の意味になるような『水』を使った慣用句を答えなさい」という問題が続けて出されていた際に、出題の内容を知らない逸見が生徒たちとのやりとりのなかで「『水を打ったような』っていうのがシーンとした(という意味)ですけどもね」と言ったところ、その「水を打ったよう」が次の問題の答えであったため北野が「次の答え言わないように」とツッコみ、スタジオ中が笑いに包まれたことがある。逸見には「実際には予め問題が教えられているのではないか」という疑いを持つ視聴者がいたが、このエピソードをもって「問題は教えられていない」ことの証明になったと番組内で取り上げていた。 国語の時間で「『くさい』の反対語を答えなさい」(正解:かぐわしい、こうばしいなど)に対して、ラサール石井が「くさくない」と解答。以降、この類いの問題では北野が予め「言っときますけど、『○○らしくない』『○○ない』とか言う答えは駄目ですよ。早めに青少年の非行の芽を摘み取っておかないと」などと、ギャグにすることが恒例化した。 北野が言うには「理科や算数の問題は、答えが1つしかないんですから。あれこれ後から言われても、駄目なものは駄目です!」と、生徒達が答えの導き方や正解を説明されても合点がいかずに駄々をこねる場合に言っている。設問では「理由も併せて答えなさい」と言う例はほとんどないと言ってもよく、北野もその点を考慮して「答えがあっていればいい」「あてずっぽうでもいいんですよ」とも発言している。 算数の時間は特に難しい問題が出され生徒が悩むことが多く、国語や社会であれこれ言ってくる生徒が多い時には「もうこれからは1時間目から算数の授業にしましょうか」「算数の授業4連発なんかいいですね。ああだこうだ言っていたのが、急におとなしくなりますからね」と、北野が冗談半分で生徒に釘をさす場面もみられた。 不正解の解答のレベルや解答した生徒によっては、「ここは笑点やお笑いマンガ道場じゃあないんですから。ウケりゃあいいっていうものじゃないから」と、北野が他の番組タイトルを引き合いに出し、嘆くフリをする事があった。 視聴者から「シンキングタイムは実際にはオンエアより長いのでは?」と、局に問い合わせがくると言う事があった。それに対して逸見が「実際にオンエアとほぼ同じ時間です。ただし、スタジオ内が一瞬静まりかえる事があります」との裏話をしていた。北野が言うには「算数の解答時間は、逸見君の解答時間が標準です」との事で、逸見が問題を解き終えるかサジを投げた時点で解答時間終了となっていた。 1993年4月3日の「卒業式スペシャル」にて、「第1期」卒業生を北野と逸見が送り出すことになる。卒業証書授与にて、久々に藤原弘達も登場。卒業生が退席した後、北野と逸見はたそがれる教室でそれまでの労を互いにねぎらい、次回からも頑張りましょうと語り合った。 北野は後述のバイク事故までは当番組の企画会議(問題作成会議)にもまめに参加しており、番組制作会社イーストにて解答を事前に行い、問題の改良点などをスタッフと共に行っていた。この時のエピソードは同時期に深夜で放送していた『北野ファンクラブ』のトークで披露している。 たけし・逸見時代の番組内での面白かった会話などは1994年12月30日に放送された特別番組『たけし大全集'94 〜たけしが愛した101人〜』の中で「たけしの一言」としてダイジェスト紹介されていた。
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