逸見の死去
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1993年9月に逸見政孝が癌治療のために全てのレギュラー番組を降板した。本番組以外は9月末までに全て降板ないしは終了しているが、本番組に関しては北野がレギュラー番組に加えて映画制作等のスケジュールもある関係で3ヶ月分以上に及ぶまとめ撮りされていたため、同年12月4日の放送分まで逸見の入院前に溜め撮りされたストック分が放送され続けた。ただし、10月2日放送分の「秋祭りスペシャル」(19時 - 20時54分)は唯一の新規撮影分だったため、解答者の小林完吾、渡嘉敷勝男、奥山佳恵、ラサール石井が国語、理科、社会、算数とグループ学習と教科ごとに級長代理を務めた。その後、ストック分が切れた翌週の12月11日の放送からは当時同局アナウンサーであった中井美穂が「学級委員長代理」として出演する。しかし復帰の願いも空しく、逸見は同年12月25日に死去。当日19時から(一部系列局は18時30分から 『幽☆遊☆白書』を休止)は追悼特番が放送された。 当日は、奇しくも放送日である土曜日であった。当初、この日は当番組を予定したが、1994年1月15日に一部再編集して放送した。 なお、入院期間中のOPの冒頭で勉強小僧が意味不明な言葉を発しているが、この部分を逆再生すると「逸見さん、がんばって」と言っていることが確認できる。 「逸見政孝#逸見に関するテレビ放映」も参照
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