辻監督時代
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2017年 1月16日、西武の本拠地である西武ドームの名称をネーミングライツによって3月1日から『メットライフドーム』にすることを発表した。4月中旬以降、5月上旬の一時期に4位となったほかは8月末まで3位を保ち続けた。チームもこの間、7月21日から8月5日にかけて西鉄時代以来59年ぶりとなる13連勝を達成している。8月31日に2位の楽天との直接対決を制して2位に浮上すると、その後はシーズン終了まで2位を維持した。西武のAクラス入りは2013年以来4年ぶり。クライマックスシリーズではファーストステージにおいて3位の楽天と対戦、第1戦ではエース菊池が完封して10-0で大勝するが、第2戦・第3戦で敗れ、1勝2敗で敗退となった。外崎修汰が3年目でレギュラーに定着し、シーズン中盤からは打撃不振の中村、メヒアに代わって山川穂高が4番に座った。エースの菊池がリーグ最優秀防御率および最多勝を達成、新人の源田壮亮が56年ぶりとなる新人でのフルイニング出場を達成し新人王を受賞、秋山が打率.322で首位打者となった。6月28日にはシーズン途中に森投手コーチが急死。オフに楽天を退団した松井稼頭央がテクニカルコーチ兼外野手として15年ぶりに復帰。野上亮磨が巨人にFA移籍。牧田和久がポスティングシステムでサンディエゴ・パドレスに移籍。 2018年 所沢への球団移転以来40周年の記念に当たる年で、西武球団でも様々な催しや事業が実施された。中でも最大の事業は2017年末から2021年春にかけて予定されている西武ドームや二軍施設とその周辺の大規模な改修・再整備である。4月17日には東京ドームで初めて主催ゲームも行われた。4月21日、本拠地で開幕から8連勝となり、球団初の記録となった。また、貯金が10となり開幕18試合以内での到達は1954年、1955年に続く63年ぶりの球団3回目となった。4月22日にロッテに勝ち、本拠地西武ドームで開幕から9連勝と球団記録を更新して貯金を11とし、最終的に本拠地での連勝を12まで伸ばした。4月25日にソフトバンク戦で5試合連続9得点を挙げて、パ・リーグ新記録を達成した。また、14年ぶりの4月に2度目の5連勝となった。強打で首位の座を一度も譲らず、9月半ばから勢いが加速、9月14日の楽天戦から12連勝で一気にマジックを減らし、9月30日、マジック1としていた首位西武は日本ハムに敗れたが、マジック対象チームである2位のソフトバンクがロッテに負けたため、西武の10年ぶり22度目のパ・リーグ優勝が決まった。1、2位が同日に敗れて優勝が決まったのは2010年パ・リーグのソフトバンクと西武以来 となり、開幕から首位のまま優勝したのは2リーグ制では1953年の巨人、1962年の東映、1997年のヤクルトに続く4例目の記録だった。771得点、191本塁打、2割7分3厘の打率と攻撃面はリーグトップを記録した一方で、防御率4.27と636失点、84エラーはいずれもパ・リーグワーストで、この内防御率が最下位で優勝したのは2001年の大阪近鉄バファローズ以来となった。 クライマックスシリーズファイナルステージでは2位のソフトバンクと対戦するが、不安の4.27の防御率とアキレス腱だった投手陣が5試合で合計44失点と甚だしく壊滅した。初戦で敗れ、2戦目でようやく勝利したが3戦目から5戦目までソフトバンクを相手に3連敗を喫し、アドバンテージ1勝を含めた2勝4敗で敗れた。監督の辻は試合後に行われたシーズン最終戦セレモニーで「悔しいです。まさか今日2018年シーズンが終了するとは考えてもいませんでした」と3連敗で敗れ去ったことを悔しがり、涙を流し続けた。松井稼頭央、藤原良平、坂田遼、福倉健太郎が現役を引退した。松井の引退により、西武ライオンズ球場時代の西武ライオンズに所属した選手が全員引退した。オフに浅村栄斗が楽天、炭谷銀仁朗が巨人にFA移籍。巨人にFA移籍した炭谷の人的補償として内海哲也を獲得。菊池雄星がポスティングシステムでシアトル・マリナーズに移籍。 この年は平成最後のペナントレースとなったので、西武は平成最後のパ・リーグ優勝球団となり、また巨人と共に「平成時代に一度もリーグ最下位を経験しなかった球団」となった。 2019年 内海哲也を含めて開幕前に先発陣に故障者が相次いだ。開幕以来一度も首位を譲らず、優勝した前年とは異なり、開幕戦最初からソフトバンク3連戦で3連敗を喫し、リーグ最下位からのスタートとなった。しかし、令和に入ってから5月1日に山川がパ・リーグの令和初本塁打を打ち、5月5日に今井達也が令和初の完封勝利を果たした。7月9日に首位とのゲーム差が最大8・5まで開いたが、8月に入って打線が奮起。9月11日、ソフトバンクとの首位攻防戦に勝って初めて首位に立ち、9月24日、マジックを「2」としていた西武は対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)に勝利し、2位のソフトバンクが東北楽天に2-4で敗れたため、2年連続23度目のリーグ優勝を果たした。浅村や菊池、炭谷と主力の移籍でチーム状況は決して万全とは言えなかったものの前評判を覆し、防御率はリーグワーストの4・35だったが、12球団トップの756得点 を挙げる圧倒的な打力を武器に優勝を勝ち取った。パ・リーグの2連覇は、2014 - 2015年のソフトバンク以来、球団では1997 - 1998年以来となった。なお、この年の5月1日に元号が平成から令和に改元されたことで、プロ野球史上初めて元号をまたいだ連覇となった。これまで西暦の末尾“9”の年のみ優勝を果たしていなかったが、これで西暦末尾0から9の全てで優勝を成し遂げたことになった。山川120打点、中村123打点、森105打点で球団史上初の100打点トリオを形成し、パ・リーグでは2003年のダイエー(ソフトバンク)以来の快挙となった。さらに山川が本塁打王(2年連続)、中村が打点王(4度目)、森が首位打者(初)、金子が盗塁王(2度目)、秋山が最多安打(4度目)と、6部門中5部門で西武がそれぞれトップを占め、打撃タイトルを総なめにした。勇躍臨んだソフトバンクとのCSファイナルステージだったが、3連敗を喫してしまうと第4戦では今宮健太にも3本の本塁打を許すなど1勝もできず、4連敗を喫した(アドバンテージ1勝を含む)。シーズン756得点の強力な打線もわずか13得点と振るわず、投手陣も32失点(自責29)、防御率7・25と試合を全く作れなかった。前年同様、ソフトバンクを相手に計1勝8敗と短期決戦でのもろさが際立ち、西武は本拠地4連敗という屈辱的な“逆スウィープ”で2年連続の下剋上を許してしまい、またしても日本シリーズ進出を7回連続で逃した。翌年から三軍制を導入することを発表した。オフに中日を退団した松坂大輔が14年ぶりに復帰。秋山翔吾がシンシナティ・レッズにFA移籍。 2020年 開幕から主砲の山川が打撃不振に陥り、新外国人のコーリー・スパンジェンバーグも開幕直後は低調だった。中盤には中村が死球を受けて故障離脱、前年首位打者の森もシーズン全体を通して打率2割5分前後に留まり、外崎も不振に陥るなど、前年までの強力打線も影を潜めた。さらに課題の先発投手陣も前年チーム最多勝のザック・ニールを筆頭に、軒並み防御率4点台から5点台と不調で、夏場には借金生活に入り、8月には5位まで後退した。しかしながらシーズン後半になると、救援投手陣で7回森脇亮介、8回平良海馬、9回増田達至の必勝リレーが確立してシーズン終盤の接戦を落とさなかったことで10月下旬には借金を完済し、コロナ禍もあって、失速した2位のロッテにも迫ったが、11月8日のロッテとの直接対決の末に敗れ、3位が確定し、CSを逃した。楽天とロッテには勝ち越したが、チーム防御率が最下位であり、ソフトバンク、下位の日本ハムとオリックスにも負け越すなど、3連覇を逃す原因となった。その中で平良がパ・リーグ新人王を受賞した。オフに日本ハムから金銭トレードで吉川光夫を獲得。 2021年 この年に開催された東京オリンピックの日本代表選手として西武からは平良海馬、源田壮亮が選出された。 序盤から低迷する一方で、7月26日にメヒアがウェイバー公示され、8月12日に日本ハムから木村文紀、佐藤龍世との2対2トレードで公文克彦、平沼翔太を獲得。10月19日にメットライフドームで行われた引退試合を最後に松坂大輔が現役を引退した。最終盤にはシーズン中のトレード相手の日本ハムとの5位争いを繰り広げる中、10月30日のシーズン最終戦で日本ハムが2位のロッテに勝利したため、最終的には首位オリックスとは15ゲーム、5位の日本ハムにも1ゲーム差をつけられ、リーグ優勝した首位オリックスと3位の楽天にそれぞれ8勝15敗と大きく負け越し、所沢移転初年度の1979年以来42年ぶり、球団名変更後初の最下位が確定した。21世紀に入ってからは初の最下位であり、両リーグを通じて21世紀に一度も最下位を経験しなかった球団は巨人だけになった。ドラフトでは隅田知一郎を1位、佐藤隼輔を2位で獲得した。オフに吉川光夫が自由契約となった(栃木ゴールデンブレーブスに移籍)。新外国人としてディートリック・エンス、ブライアン・オグレディ、ジャンセン・ウィティ、ボー・タカハシ、バーチ・スミスを獲得。 2022年 1月15日付で居郷肇が球団社長を退任、翌16日付で居郷の後任として奥村剛が球団社長に就任。メットライフが西武ドームとのネーミングライツ契約の満了に伴い、新たにベルーナとネーミングライツ契約を結び、3月1日付で「ベルーナドーム」に改称された。
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