辻潤との子女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:18 UTC 版)
辻との間に一(1913-1975)、流二(1915-1998)がいる。一は、辻家にそのまま引き取られ、詩人辻まこととなり、流二は里子に出されて若松流二となった。流二は横浜の貿易会社に勤めながら横浜専修商業高校夜間部で学び、日本郵船の外洋航路の貨物船船員となったが徴兵され、兵隊を南方に送る海軍輸送船の機関員を務めた。戦後は北海道開拓移民団に応募して竹久夢二の息子である不二彦と日高に移住し、開拓農場で働いた。 流二は結婚し3人の子に恵まれ、晩年は横浜に戻って余生を送った。兄であるまこととは小学生の時に会い、21の時には2か月間同居して看病していた上に、葬儀にも立ち会った。まことと子供のころから交流があり、仕事を手伝っていたこともあった。 野枝は祝い着を流二の養家に送ったりしたが、流二は周囲に母親のことは大嫌いだと語っていた。まことは娘に母の名と同音の「野枝」とつけようとしたが、妻の母親に「ああいう死に方をした人の名は付けたくない」と反対され、「野」の字のみ残して野生(のぶ)と命名した。
※この「辻潤との子女」の解説は、「伊藤野枝」の解説の一部です。
「辻潤との子女」を含む「伊藤野枝」の記事については、「伊藤野枝」の概要を参照ください。
- 辻潤との子女のページへのリンク