誕生~1960年代とは? わかりやすく解説

誕生~1960年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:36 UTC 版)

ヨシダミノル」の記事における「誕生~1960年代」の解説

1935年昭和10年)、大阪府生まれ小学4年生時に原爆による終戦受けて大きなショックをおぼえ、人間精神的な部分にまで入り込むテクノロジー衝撃受けた。この経験後年ヨシダ保持国の芸術家として使命意識し原爆戦争意識下感じさせる作品制作するうになる原点となった1993年平成5年)、58歳の時に発表したテキスト『「不捻」の地球を思う』の中で、神的と思われ存在敗北し象徴実体となった戦前記憶は、世界難解にし、政治芸術に不安を持ち続け要因になった自己分析している。 1959年昭和34年)、京都市立美術大学西洋画卒業大学卒業後はモダンアート協会入会し絵画発表した1964年昭和39年7月京都市内自宅兼ねたアトリエ建築する1965年昭和40年)から具体美術協会所属した京都府在住者では唯一の会員となった具体美術協会は、1954年昭和29年)夏に、戦前から前衛芸術家として活動していた吉原治良によって結成され18年間にわたり阪神地域拠点活動した前衛美術家のグループである。その活動は、他人真似ではなく新たなものを創るという吉原会員課した課題のもと、野外どの様々な空間用い既成概念打ち砕く未知芸術創造しようとする意欲的な取組高く評価された「前期」、1957年昭和32年)にフランス人美術評論家ミシェル・タピエによってアジアにおけるアンフォルメル旗手として世界紹介され国際的な美術家集団として名を挙げた一方移動売買容易な絵画などに表現一元化されて"具体らしさ"が損なわれた「中期」、1965年昭和40年第15回具体美術展を契機アンフォルメル風の抽象表現マンネリ化からの脱却図った後期」に大別されるヨシダミノルは、後期具体代表するアーティストとして頭角現し芸術家一人である。 1967年昭和42年)には、プラスティックプレキシグラスなどの新たな素材用いた立体作品制作するようになり、ブラックライト用いた空間演出や、動力取り入れた動く作品サイケデリックな色使いなど、21世紀テクノロジー感じさせるような作品後期具体新たな方向性示し、「テクノロジー・アート先駆者」と呼ばれた1960年代後半注目されるようになった環境アート代表するアーティストもみなされる。 1968年昭和43年)、そごう神戸店開催された「現代空間'68〈光と環境〉」展や英国ロンドンInstitute of Contemporary Arts開催された「現代日本美術 - 蛍光」展に招かれ1969年昭和44年)には、ソニービル開催された「国際サイテック・アート展 エレクトロマジカ'69」展などへ出品し国内外注目された。 後年大空ライブ美術館開館するヨシダ構想は、この頃から散見される1969年昭和44年5月に『美術手帖』に寄せた誌上シンポジウム「EP3.第3地球勢力」のなかで、ヨシダミノル表現形式変化適応した新しいスタイル美術館必要性強く表明している。 アーチストあらゆる産業生んだ, 第3物質素材としてコミュニケイトする仕事変わって行く, 第3アートがそれだ, 美術館ではますます, エレクトロニックアート, ライトアート, キネティックアート, その他テクノロジーアート演奏することが不可となって来る, EP3文明コジキは, 場をうしなう, ウロウロアングラ化して行く, 建築家諸君, EP3時代適す第3美術館早く建築することを欲す — ヨシダミノル「EP3.第3地球勢力ヨシダ1970年代半ばまで電気仕掛けアート作品手掛けていたが、そのピークこの頃であった1970年昭和45年)の大阪万博では、みどり館に、動くオブジェ『バイセクシャル・フラワー』や『アートマシンno.2』、透明な自動車『アートマシンno.3』を出品した大阪万博でみどり館に展示され以後ヨシダミノル代表作みなされる『バイセクシャル・フラワー』は、回転する円盤仕込んだ透明なアクリルの箱の周り透明な6花弁広がり全体張り巡らせチューブ流れ動力花弁開閉する造形物を、床から透過するブラックライトの光で照らししたもので、当時アメリカ中心に謳われていたフリーセックス性別からの開放運動)の世相意識した作品思われる大阪万博きっかけに、アーティストが携われるテクノロジー部分はすべて企業体吸い上げられ芸術家技術一体化した作品作ることが難しくなったと感じていたヨシダは、自ら出品した作品企業体抗う姿勢を示す。「透明な素材使用することは、その中にあるテクノロジー存在剥き出しにすることであり、企業既製品自由に中をいじれないようにしてあるのと対極考え目指した。」と、『バイセクシャル・フラワー』に込めた意図解説している。ヨシダ万博観ることなく1970年昭和45年2月日本飛び出し米国ニューヨークに居を構えた。『バイセクシャル・フラワー』は、前期具体美術協会代表する作家のひとり田中敦子の『ベル』と並んで具体実験精神を示す代表作であるとともに日本前衛美術代表する作品のひとつに数えられ以後国内外様々な展覧会出品されている。

※この「誕生~1960年代」の解説は、「ヨシダミノル」の解説の一部です。
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