解散前に脱退したメンバー
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「デューク・エイセス」の記事における「解散前に脱退したメンバー」の解説
和田昭治(わだ しょうじ、1928年5月8日 - 2014年4月19日)セカンド・テナー。東京都出身。1955年にデューク・エイセスを結成し約6年間リーダーとして活躍した後、作曲家に転進し、数々のCMソングを世に残す。「サントリーレッド」「トリスビール」「湖池屋ポテトチップス」「バネットライオン」など、その数は約800曲に上る。またNHK『ステージ101』の歌唱指導として「ワンツーおじさん」の愛称で一時レギュラー出演していた。晩年は都内でボイストレーナーとして指導していた。指導したグループや門下生はジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・ワンダース、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、少年隊を始め、数知れず日本のポピュラーソング界に大きな足跡を残した。離脱後もデュークOBとしてコンサートにゲスト出演したことがあり、その際には喝采を浴びた。後任は小保方淳。リーダーの後任は、谷道夫。2014年死去。享年85歳。 川上道夫(かわかみ みちお)。トップ・テナー。東京都出身。デューク・エイセス結成時のメンバー。デューク・エイセス以前は「ジャズのど自慢」に常勝出場者として出演していたセミプロ。進駐軍巡りのハードスケジュールがたたってのどを壊し、1957年に離脱。後任は吉田一彦。 大屋剛人(おおや のりと)。バリトン。東京都出身。川上同様、デューク・エイセス以前はジャズのど自慢常勝出演のセミプロ。芸能界引退(その後平凡社に入社)のため、1958年に離脱。後任は槇野義孝だが槇野のキーの関係などから、それまで大屋のパートだったバリトンを谷道夫が担当することとなった。 小保方淳(おぼかた じゅん)。セカンド・テナー→トップ・テナー。加入当初はセカンド・テナーだったが、後に吉田一彦とパートを交代し、トップ・テナー大になる。愛称はピノキオ。ロイヤルナイツを経て、和田昭治の後任として加入。本人の加入後、「おさななじみ」などの歌謡曲のヒットでデューク・エイセスの人気は高まりはじめる。甘い美声で人気を博し、多くのレコーディングにも参加したが、方向性の違いからデューク・エイセスを円満離脱、谷口安正と交代する。脱退後はボーカル・ショップに参加。ボーカル・ショップ解散後はソロ活動を行っている。後任は谷口安正。 谷口安正(たにぐち やすまさ、1939年6月28日 - 1990年12月31日)。長崎県出身。血液型B型。愛称はヤスボウ。立ち位置は一番左。青山学院大学英文学科卒業。トップ・テナー。在学中はグリーンハーモニー合唱団指揮者としても活躍するなど、既に音楽関係者の間では名が知れ渡っていた。卒業直前にパーティーで競演したデューク・エイセスから乞われる形で学校卒業後の1964年5月に加入。加入の際には当時デューク・エイセスがレギュラー出演していた「夢であいましょう」にて、デューク・エイセスの持ち歌である黒人霊歌を1番を小保方、2番を谷口が歌うという形でメンバー変更を全国に知らせた。四半世紀に渡りトップ・テナーを担当し、デューク・エイセスの黄金時代を支えた。1990年、35周年コンサートも盛況のうちに終了ののち、同年12月に自宅で脳出血で倒れ、手当のかいなく急逝、満51歳。後任は飯野知彦。 飯野知彦(いいの ともひこ、1953年5月6日 - 2009年11月20日)。群馬県出身。血液型O型。愛称はトモさん。東京芸術大学卒業。トップ・テナー。立ち位置は一番左。脳出血で倒れた谷口の急逝により、以前より縁があったデューク・エイセスから後任の打診を受け、イタリアミラノ留学を中断し帰国。1991年加入。2008年に胃がんが発覚し治療を受け回復するものの、2009年1月に転移が発覚。通院治療を行いながら活動したが、同年6月15日に自宅で倒れて入院以来約1か月意識不明の状態に陥っていた。早期の復帰が困難とみられることから、事務所及び家族が話し合い、55周年目前にグループを一旦離脱という形になった。意識回復後はリハビリに取り組むなど、復帰を目指したが願いは叶わなかった。2009年11月20日胃がんのため死去、享年56歳。後任は大須賀ひでき。5月21日に大阪厚生年金会館で行われた「BS日本・こころの歌」(BS日テレ)の公開収録が最終出演。 吉田一彦(よしだ かずひこ、1936年1月25日 - 2020年2月9日)。大阪府出身。血液型O型。愛称はカイチョー。トップ・テナー→セカンド・テナー。立ち位置は左から2番目。加入当初はトップ・テナーだったが、小保方淳とパートを交代し、その後セカンド・テナーになった。俳優の大木実の下で書生生活を送っていた1957年に加入。デューク・エイセスが50周年を迎えた2005年以後は、ソロ歌手としての活動も行っている。2014年に脳梗塞を発症し復帰に向けて治療を続けてきたが、2015年3月に芸能界引退を発表した。後任は岩田元。2020年2月9日、肺炎のため死去、享年84歳。2020年7月28日の「徹子の部屋」上半期追悼特集にて、吉田の追悼が放送された。
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解散前に脱退したメンバー
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「ハニースパイスRe.」の記事における「解散前に脱退したメンバー」の解説
名前愛称生年月日カラー活動時期加入期出身地備考夏目 ゆきなつめ ゆき ゆきティ (1990-08-10) 1990年8月10日(31歳) なし 2012年10月4日 - 2013年3月17日 1期 福岡県 白石 ゆのしらいし ゆの ゆのりんこ (1992-03-10) 1992年3月10日(29歳) ピンク 2012年10月4日 - 2015年4月15日 1期 東京都 卒業後、しらいしゆのに改名。 ダイヤモンドルフィー(活動停止)、アンピクシープーペで活動(後に解散)。 吉沢 七海よしざわ ななみ ななみん (1988-10-29) 1988年10月29日(33歳) 水色 2012年10月4日 - 2014年10月29日 1期 福岡県 元リーダー。身長154㎝、スリーサイズB80W56H83cm。卒業後、パチスロライターとして活動。 橘 ありかたちばな ありか ありたん (1990-05-31) 1990年5月31日(31歳) レッド 2012年10月4日 - 2017年3月1日 1期 長崎県 2015年10月26日-2018年5月31日プロデューサー(2015年10月26日-2017年3月1日はメンバー兼任) 松本 あきなまつもと あきな あきにゃん (1996-02-03) 1996年2月3日(26歳) パープル 2013年3月 - 2015年4月15日 2期 東京都 卒業後、滝沢あきなに改名。ワンダーウィードで活動(卒業)。 菅谷 さきすがや さき さきちー (1994-09-23) 1994年9月23日(27歳) イエロー 2014年9月28日 - 2017年3月20日 3期 長野県 卒業後桃色革命に加入(茜屋さき名義)。後にparteaに加入(逸見サキ名義)。 山下 ゆなやました ゆな ゆなぴょん (1996-03-05) 1996年3月5日(25歳) グリーン 2015年5月1日 - 2015年11月11日 4期 東京都 元アイドルカレッジ 伊藤 里織いとう さおり さおちゅ (1993-04-10) 1993年4月10日(28歳) ブルー 2015年5月1日 - 2017年3月20日 4期 茨城県 セクシー担当。身長154cm、スリーサイズB87W58H86cm。卒業後、グラビアアイドル、マジシャンとして活動。 永瀬 かれんながせ かれん かこちん (1995-10-10) 1995年10月10日(26歳) ブルー 2017年4月30日 - 2017年8月29日 6期 新潟県
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解散前に脱退したメンバー
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「オフコース」の記事における「解散前に脱退したメンバー」の解説
地主道夫(じぬし みちお) ギター結成時のメンバー。聖光学院、東北大学工学部、早稲田大学理工学部卒業。1971年2月頃脱退後、竹中工務店に入社。『日刊ゲンダイ』(平成6年6月16日号)で「超売れっ子設計家」として取り上げられた。後に設計事務所を営む。 須藤尊史(すどう たかふみ) ドラムス結成時のメンバー。1965年脱退。高校3年時の聖光祭に小田・鈴木・地主とともにステージに立つ。卒業後横浜市立大学に進学。 昭和シェル石油勤めのかたわらヨットマンとしても有名になる。 小林和行(こばやし かずゆき)ベース1970年10月頃加入、1972年5月19日脱退。小田・鈴木の聖光学院時代の後輩。加入当時、早稲田大学学生でその後、小田らの勧めで学業に戻る。 吉田浩二(よしだ こうじ) コーラス1972年5月13日加入、同年5月19日脱退。当時のオフコースのマネージャーで、第1回東京音楽祭出演のため助っ人として加入。 鈴木康博(すずき やすひろ、 (1948-02-18) 1948年2月18日(74歳) - ) ボーカル・ギター結成時のメンバー。1983年8月31日脱退。静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。東京工業大学工学部卒業。小田とは対照的な男らしい詞を書く。編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在。
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