解散危機の勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:49 UTC 版)
『週刊新潮』の2016年1月21日号にこの騒動が掲載されることになっていた。1月21日号は14日発売で、新潮はこの前の12日にジャニーズ事務所に確認の取材を行った。ジャニーズ事務所は新潮の報道のインパクトを落とすため、13日付の日刊スポーツ(以下ニッカン)とスポーツニッポン(以下スポニチ)に、 飯島が2月に退社する 木村を除く4人が飯島に従い事務所を離脱する SMAPは解散する という内容の記事を掲載することを許可した。未明の13日3時にニッカンが、さらに5時半にスポニチが 電子版で速報を流すと、テレビの情報番組などでも終日このネタで持ち切りになった。 午後になって、ジャニーズ事務所から公式コメントが発表された。 この度、一部報道機関により、SMAPの一部メンバーの独立問題と担当マネージャーの取締役辞任等に関する報道がなされました。たしかに、この件について協議・交渉がなされている事実は存しますが、そのような状況下であるため、詳細についてのお問い合わせにはお答えできませんので、宜しくご理解の程お願い申し上げます。 ジャニーズ事務所は従来の方針の通りSMAPを解散させて4人を干し、木村1人をソロでプッシュさせる心づもりであったとも報道されており、翌14日の各紙およびテレビは、飯島とメンバー4人が独立を画策、頓挫したもので、元の鞘に収まるのは絶望的、という筋書きで概ね一致していたといわれる。この日は草彅が主演ドラマ『スペシャリスト』の宣伝のためテレビ朝日のワイドショーを梯子することになっていたが、全番組、草彅の前では解散の件について一切口にしなかった。 しかし、同14日発売の週刊新潮はメリーが飯島を追いだした顛末を克明に記していた。また、一部のジャニーズに靡かないメディアやインターネットの暴露サイトなどではジャニーズの悪質さは公然の秘密となっており、事務所には抗議の電話が殺到した。そこで事務所は軌道修正を図る。15日以降、4人が独立画策を後悔しているとの記事を書かせ、さらに木村を事務所との仲裁役として4人に助け船を出す役回りにした。4人に自ら非を認めさせることで4人への支持を弱め、同時に木村の度量の広さを印象付けようとしたのである。だがメリーの錯乱は収まらず、担当記者に電話をかけまくっては飯島やメンバー4人のスキャンダルをまくしたてるという状況が続いた。メリーの暴走に対して匙を投げていたジャニーが助け船を出し、17日深夜に4人と面会、謝罪した4人をその場で労わった。しかし、メリーは顔を出さなかった。翌18日は『SMAP×SMAP』(以下、スマスマ)の放送日であった。ここで、番組の枠を借用して木村を除くメンバー4人による謝罪メッセージを流し、メリーの許しを請うことが決まったという。この日のスポーツ新聞は、木村が事務所幹部と相談して、飯島の事務所退社をもって手打ちとし、SMAP存続の見通しが立った、と報じた。
※この「解散危機の勃発」の解説は、「SMAP解散騒動」の解説の一部です。
「解散危機の勃発」を含む「SMAP解散騒動」の記事については、「SMAP解散騒動」の概要を参照ください。
- 解散危機の勃発のページへのリンク