解散以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 08:38 UTC 版)
1945年(昭和20年)9月解散式が行われた、その後の残った入院患者と医療スタッフは、海軍工廠第七宿舎で治療を続け、後の豊川市民病院へと繋がった。 終戦直後は、豊川の海軍の倉庫には相当量の医療物質や器材があった。それを利用して市民病院にしようという声があった。同時期にされた蒲郡、新城の市民病院にも医療器材を提供した。 豊川市民病院は豊川江海軍共済病院を引き継ぐかたちで、昭和二十一年四月九日に開院した。。
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