連合解散以後
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連合解散以後のチーム数の変遷はこちらに記載 1982年 関西大学野球連合が解体。それまで下部を構成していた他の2連盟とともに下部組織から独立。同時に関西地区全体の再編が行なわれ、連合解散直後に近畿大学リーグに所属していた大阪経済大学が脱退し新編成の関西六大学野球連盟に移籍し、奈良大学が近畿学生野球連盟に加盟。また春の全国大会への代表枠は再編後の関西地区5連盟で1代表を争う形に変更。秋の明治神宮野球大会への出場は選手権出場連盟の代表が出場。 1983年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が2つに増枠。秋の明治神宮野球大会は春の第1代表の代表連盟が出場となる。 1985年 大阪大学が連合解散後の連盟代表としては初の全日本大学野球選手権大会に関西地区第1代表として出場。同年より明治神宮野球大会の関西地区代表決定戦が実施。 1989年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が3つに拡大。 1991年 全日本大学野球選手権大会の出場枠再編成に伴い単独出場権を獲得。 1994年 連盟の名称を近畿大学野球連盟から近畿学生野球連盟と改める。関西地区大学野球5リーグ対抗戦を開始。 1997年 日本生命球場の閉鎖・解体に伴い、球場のフランチャイズ使用の終了及び同球場内にあった連盟事務所も移転。 1998年 同年4月に連盟創立50周年を迎え記念誌「球跡」を発行。 2005年 秋季に行なわれる明治神宮野球大会において関西地区の代表枠が1校増の2枠に拡大。 2007年 10月に大阪外国語大学が大阪大学と合併したが、大阪外国語大学野球部は大阪大学外国語学部野球部として、大阪大学とは別のチームとして連盟に残ることになる。 2008年 春季に2部を1カード2戦固定の勝率制(引き分けも有効)に、3部は1戦固定の予備戦(総当たり戦)とその結果での上位と下位に分けた順位決定リーグ(1回戦総当り)の方式(リーグ構成が7校になったことによる変則措置)に変更。 2009年 春季から3部が6校になったことにより2部同様、1カード2戦固定の勝率制に変更。 2013年 春季から再び3部が7校となったため、2008年に行われていた3部リーグの変則措置日程が復活。 2016年 全日本大学野球選手権で、奈良学園大学がリーグ史上最高のベスト4に進出。 2020年 新型コロナウイルスの影響により、春季リーグ戦は中止。秋季は入替戦を実施せず2部優勝校は自動昇格。
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連合解散以後
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連合解散以後のチーム数の変遷はこちらに記載 1982年 関西大学野球連合が解体。それまで下部を構成していた他の2連盟とともに下部組織から独立。同時に関西地区全体の再編が行なわれ、連合解散直後に京滋リーグに所属していた龍谷大学、京都大学、立命館大学が脱退。また春秋の全国大会への代表枠は再編後の関西地区5連盟で1代表を争う形に変更。 1983年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が2つに確定。 1989年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が3つに拡大。 1990年 佛教大学が連合解散後の連盟代表として初の全日本大学野球選手権大会に出場。 1991年 全日本大学野球選手権大会の出場枠再編成に伴い単独出場権を獲得。 1994年 関西地区大学野球5リーグ対抗戦を開始。 2005年 秋季に行なわれる明治神宮野球大会において関西地区の代表枠が1校増の2枠に拡大。 2019年 前年の秋季大会後の入替戦で1部に昇格したばかりの福知山公立大学が、春季大会に出場することなく脱退したため、春季は1部が5校・2部が7校での変則開催となる。2部優勝の大谷大学が入替戦無しで1部に昇格する。 2019年 佛教大学が第68回全日本大学野球選手権大会で連盟初の準優勝
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連合解散以後
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連合解散以後のチーム数の変遷はこちらに記載 1982年 関西大学野球連合が解体。それまで下部を構成していた他の2連盟とともに下部組織から独立。同時に関西地区全体の再編が行なわれ、連合解散直後に阪神大学野球連盟に所属していた大阪学院大学と神戸学院大学が脱退し共に新編成の関西六大学野球連盟に移籍。また春秋の全国大会への代表枠は再編後の関西地区5連盟で1代表を争う形に変更。 1983年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が2つに確定。 1986年 大阪体育大学が連盟代表としては初の全日本大学野球選手権大会に関西地区第一代表として出場。 1989年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が3つに拡大。 1991年 全日本大学野球選手権大会の出場枠再編成に伴い単独出場権を獲得。 1994年 関西地区大学野球5リーグ対抗戦を開始。 1997年 関西地区大学野球5リーグ対抗戦で初優勝。 2003年 神戸商船大学が近畿学生野球連盟に野球部が所属している神戸大学と統合するが、野球部は神戸大学海事科学部野球部として、別チームのままリーグ加盟を継続(2015年秋季限りで神戸大学野球部と統合されリーグから脱退)。 2005年 秋季に行なわれる明治神宮野球大会において関西地区の代表枠が1校増の2枠に拡大。また、秋季リーグ戦において、関西外大・天理大の第4回戦で前代未聞の没収試合が発生。(DHで先発登録の選手が試合開始に間に合わなかった為、連盟規約により適用。) 2006年 全日本大学野球選手権大会で大阪体育大学が、連盟所属チームとして初優勝。 2011年 2部と3部を統合し、新たに2部西リーグと2部東リーグを創設。1部との入れ替え戦出場を決定する東西両2部リーグ優勝校による「入れ替え戦出場決定戦」を新たに開始。 2020年 春季リーグ戦は中止。秋季は1部リーグ:2回戦総当たり、2部:1回戦総当たりで実施。
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