京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 04:28 UTC 版)
京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林(きょうとだいがくフィールドかがくきょういくけんきゅうセンターしんりんステーションあしうけんきゅうりん、略称:京都大学芦生研究林)は、京都府南丹市美山町芦生にある京都大学の研究施設である。1921年に当時の京都帝国大学初の国内演習林として北桑田郡知井村[注釈 1]九ヶ字共有林約4,200haに地上権を設定し、同地を芦生演習林と称したことから始まり、その後1923年の農学部設置に伴い学生や研究者向けの学術研究および実地研究の場として活用されたほか、大学の財産形成の場として、伐採に伴う用材収入や製炭事業などでの収入が用いられた。近畿地方に残る数少ない大規模天然林であり、中には原生林もあることから、芦生原生林や芦生の森とも呼ばれることがあるほか、現在でも旧称の芦生演習林で広く通じている。
注釈
- ^ 後の1955年4月1日に知井村をはじめ平屋、宮島、鶴ヶ岡、大野村の北桑田郡北部5か村が合併して美山町となる。
- ^ クマハギによってスギの生育が妨げられるだけでなく、枯死の原因となるほか、樹皮が剥がれた部分が腐食することで材木の商品価値がなくなる。
- ^ 1999年に歩行者が突風に煽られて転落死する事故があり、その後手すりを取り付けた。
- ^ 針畑郷の人々は「うつぎの宮」と呼んでいた。
- ^ 戸籍がなかったことから、当然税金も納入していなかった。
- ^ 知井村における部落有林の統一は1927年。
- ^ 関西電力は、第二候補であった兵庫県朝来郡の多々良木川と市川に1970年(昭和45年)より改めて建設することとした。これが現在の奥多々良木発電所である。
- ^ これらの施設の旧所属は大学院農学研究科ないしは理学研究科。
- ^ 東京帝国大学秩父演習林の開設は1916年。
- ^ 5月10日の中山神社の例祭日に針畑郷の人々と研究林の職員が共に入山してお祭をしている。
- ^ ニホンオオカミの絶滅後、本州に大型の肉食獣がいない。
- ^ 防鹿柵設置後、湿原の植生が回復している[5]。
出典
- ^ a b 小西, 伊藤 & 伊藤 2009, p. 47.
- ^ a b 伊勢 & 前田 2018, p. 75.
- ^ a b c d 中島 (2001 : 51)
- ^ 保全ための様々な取り組み - 京都大学フィールド科学教育研究センター芦生研究林、2023年4月26日閲覧
- ^ KDDIと防鹿柵の補修ボランティアを行いました。 - 京都大学フィールド科学教育研究センター芦生研究林(2022年9月9日)、2023年4月26日閲覧
- ^ 銃器の使用による入林制限のお知らせ(終了しました) - 京都大学フィールド科学教育研究センター芦生研究林(2023年4月19日)、2023年4月26日閲覧
- 1 京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林とは
- 2 京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林の概要
- 3 地理
- 4 動物
- 5 歴史
- 6 過去と現在の課題
- 7 関連項目
固有名詞の分類
- 京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林のページへのリンク