第7回(1993年)FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:01 UTC 版)
「平成教育テレビ」の記事における「第7回(1993年)FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ」の解説
※マルチ画面には『FNSの日 1億2450万人の平成教育テレビ』と書かれていた。 この年から1995年までの三回、土曜夜9:00 - 日曜夜7:58の23時間放送に。(いずれも土曜夜9:00まで野球中継があったため。) 総合司会:北野武、逸見政孝逸見はこの時点で公表前だったがスキルス胃がんに侵された中での出演であり、オープニングでは直接的な表現こそしなかったものの、病名を知らされていた数少ない人間の一人であるたけしが「逸見君も病気あがりだから…」と言及するシーンがあった。逸見はその5か月後の同年12月25日に逝去し、この年が最後の出演となった。 この回からインフォメーションアナが正式に導入(インフォメーション担当自体は第1回(1987年)から存在していた。導入しない回はこの回の進行アナが担当することがあれば、導入しても内容や進行(主にコーナー進行する準備があるアナもいる)によってはこの回の進行アナが加わることもある)。 接近した台風4号により、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の打ち切り(同項を参照)に伴うつなぎ番組として放送予定だったナイター中継の中日-巨人戦(ナゴヤ球場)が中止。番組中も随時台風情報を入れていた。ちなみにナイター中継枠は『火曜ワイドスペシャル』などで放送された『いたずらウォッチング!!』(タレントではなく一般素人をだます企画)を放送。また、『平成教育委員会』の筆頭スポンサーであるツムラは『平成教育テレビ』の番組宣伝に差し替え。 オープニング直後、各地で行われるプロ野球の様子を中継する予定であったが、前述した台風4号の影響で中日-巨人戦(ナゴヤ球場)の他、ヤクルト-阪神戦(明治神宮野球場)、横浜-広島戦(横浜スタジアム)が雨天中止。試合が行われた近鉄-西武戦(藤井寺球場)、オリックス-日本ハム戦(グリーンスタジアム神戸)、ダイエー-ロッテ戦(北九州市民球場)も揃って9時前に試合が終了してしまうという散々な中継となってしまった。 神宮は辺り一面真っ暗闇の中、福井謙二アナが学生服姿でリポートをし、笑いを誘った。たけしからは「どっかの苦学生みたいでしたね」と言われたこともあり、その後河田町本社のスタジオに戻り最初のインフォメーションコーナーの際には「喋る苦学生の福井謙二です」と自虐しつつ自己紹介した。 ナゴヤは東海テレビの宗宮修一アナと森口博子が担当。 藤井寺は関西テレビの塩田利幸アナが何を言っているかわからない状況の騒がしさであり本来は試合の様子を収めたVTRに行くはずが、あまりの騒々しさにスタジオへ戻りそれと同時に中継回線が止まるトラブルになった。たけしが「少しは人の話を聞け」と突っ込んでいた。「五月蠅いか静かかのどっちか。もうちょっとファジーな状態のないのか。なんか良いなってのが。」とたけしが言ったのにも関わらず、逸見が神戸に中継をふった際、応対した関西テレビの岡林豊明アナが「静かなグリーンスタジアム神戸です」と閑静な中で試合が終了したことを告げ、たけし・逸見の2人が大コケした。この流れに乗って、北九州のテレビ西日本・川崎聡アナは、ダイエーが8連敗したことも相まって「北九州市民球場も静かであります」と言った。 他球場ではアナウンサーがレポートを行う中、横浜は大坪千夏アナ・千秋(ウゴウゴルーガのせんにちまえちなつ・ちあき)コンビが、いきなり漫才を始め、スタジオに画面が戻るとたけしは「誰がひとネタやれつったんだ!この野郎!」と突っ込んだ。その後「山縣さんもう一度画をくだはい (ち)」と書かれた紙を掲げて歌い始め、たけしは「この姉ちゃん(大坪アナのこと)、クビにしたほうがいいんじゃねぇか」、逸見は「しらっとやってますねぇーしかし」と言った。 「全国一斉模擬試験」の結果は、優勝・秋田テレビ/準優勝・福島テレビ/第3位・長野放送。優勝した秋田テレビには、ゲージツ家の篠原勝之(クマさん)が製作した「鉄のモニュメント・≪楽天速度≫」が贈られた。オープニングで、当時の河田町本社南口(タワービル前)にいる篠原に中継を降った際に、作品が大きい場合にどう運べばいいか、たけし・逸見とトークしている時に、篠原が「めんこいテレビだとかあのセコいテレビ局」と失言してしまい、たけしからは「クマ!誰がそんなこと言えつったんだ!」と突っ込み、その後逸見がフォローした。その後、めんこいテレビからの中継冒頭で、横山義則アナが「セコいめんこいテレビのアナウンサーの横山です。クマさん、ありがとうございました。」と答えた。 『平成教育委員会スペシャル』終了時の挨拶で逸見が「起立!」と「礼!」を続けて言ってしまい爆笑を誘い、どんとに突っ込まれた。 深夜は『北野ファンクラブ』をベースとした「平成ファンクラブスペシャル 深夜のカラオケステージ」。所ジョージをゲストに迎えてのカラオケ大会となった。逸見がカラオケ(千昌夫・君がすべてさ)を歌ったが、出だしをはずしたときに逸見にマイクを渡したガダルカナル・タカにたけし・高田両名から「だから(逸見さんに)歌わせるなって言ったろ!」と突っ込みを受けた。更に2番も入ろうとしたが逸見自身から「やめよう、やめよう!時間がもったない!1番で充分だよ」とどちらかと言えば怒る声に近い声で自ら強制終了させたがたけしは何故だか布団に入っていた。それを見ていた逸見はたけしに指を指しながら笑みを浮かべて大笑いしていた。 『夜明けの一般公開模擬試験』開始時に逸見が映っている事を知らずにスタッフに「入っていますよ!」と突っ込まれてスタジオ中が拍手と笑いに包まれた。この回では全問正解者は5人おり、1人ずつに20万円が進呈された。ちなみに全問正解者の中には『アメリカ横断ウルトラクイズ』の優勝者の名前も含まれていた。 『全国一斉模擬試験第2ブロック 本コース』時には、最下位を走っていためんこいテレビの横山アナが「しかし、みなさん!このままじゃ終われません!」と言ったことに対して、逸見からは「このまま終わりそうな気がします」とはね返した。逆にトップとなった秋田テレビに中継をつないだ際に、地元のマジシャン・ブラボー中谷が股間から鳩を取り出す手品を披露し、逸見が「なんかあの25位も1位もあまり変わらないですね」とあきれられていた。その後、東海テレビ→山陰中央テレビ→テレビ愛媛→テレビ西日本→長野放送→テレビ静岡から中継でつないでいったが、大半の会場がホテルあるいは旅館からであったため、ホテルと分かるとスタジオから大きな笑い声が起こった。 テレビ静岡では、清水FCエスパルスのサポーターが会場に集まり、その中には顔一面にイメージカラーの山吹色を顔に塗ったサポーターがおり、気になった逸見・たけしがそのサポーターにカメラを振らせようとするも、間違えて応援団長にズームアップされてしまい、そのまま中継終わってしまった。 夕方は辰巳琢郎・ 奥山佳恵 • 安藤優子司会の『FNNスーパータイムスペシャル』。 この年(1993年)と翌年(1994年)の2年間に渡って「平成GIダービー」が開催された。実況には元関西テレビアナウンサーの杉本清、解説に山田雅人、リポーターに松尾伴内を迎えて群馬県の高崎競馬場で1400mの距離で開催された。優勝はゲンポイント、2着はミホノゴリボシだった。杉本が中継中、全員が3コーナーに行ったかと思ったら、まだ2コーナーの手前に到達できず、結局実況生活で初めてCMを入れることに。また、CM中にチャック・ウィルソンが足をけいれんしてリタイアした。 『あっぱれさんま大先生SP』でさんまは帽子を反対向きにスポーツの球技をデザインしたTシャツを着たため、終盤に「ここから御覧の皆さん、うじきつよしじゃないですよ」と話した。 この年は、事前に視聴者が葉書で局対抗戦の優勝局及び準優勝局を連勝単式で予想する、「優勝キョクカルチョ」を実施(予想的中者で100万円の賞金を山分け・もし的中者が101通以上あった場合は抽選で100名に1万円)。応募総数は7万2250通。一番人気がフジテレビ・関西テレビの組み合わせで1301通、二番人気が関西テレビ・フジテレビ、三番人気がフジテレビ・東海テレビ、大穴はテレビ長崎・テレビ愛媛と沖縄テレビ・テレビ熊本の46通で、結果、上記の通り、秋田テレビ・福島テレビの組み合わせで72通だった。一方の福島テレビ・秋田テレビの組み合わせで73通あった。 「全国一斉模擬試験」個人戦は、全国500人が優勝賞品である『フランス・パリ 留学の旅』を目指して、4回に分けて出題された問題に挑んだ。個人優勝は山陰中央テレビの高校教師だった。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは奥寺健、関戸めぐみ、濱田典子、平松あゆみの男性1人/女性3人の合計4人。 この年の提供CGは、勉強小僧が登場して、ジャンプする度に社名が切り替わった。 この年から製作総指揮は日枝久に交代した(第14回まで)。
※この「第7回(1993年)FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ」の解説は、「平成教育テレビ」の解説の一部です。
「第7回(1993年)FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ」を含む「平成教育テレビ」の記事については、「平成教育テレビ」の概要を参照ください。
- 第7回FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビのページへのリンク