神流川とは? わかりやすく解説

神流川

美しき景観に、伝統受け継ぐ優雅な
神流川は、三国山西側より多野山地へ曲がりくねりながら流れ下久保ダム通り群馬県埼玉県県境流れ新町地先烏川注いでます。流域面積は407km2流路延長は87.4kmです。

群馬・埼玉県境を流れる神流川
群馬埼玉県境を流れる神流川

河川概要
水系利根川水系
河川名神流川
幹川流路延長87.4km
流域面積407km2
流域内人29,000
流域関係都県群馬県埼玉県

神流川流域図
○拡大図
1.神流川の歴史
"神流川は、三国山にその水源発してます。かつてこの地域では、木材供給が盛んであり、戦前から戦後にかけて多量木材都市圏供給していましたまた、烏川と神流川の合流点は、滝川軍と北条軍戦い神流川合戦が行われたり、「神流川の渡し場」が開設される等、歴史上重要な地点となってます。"

神流川の源は、群馬埼玉長野県境接す三国山にその水源発してます。
かつてこの地域では、木材供給が盛んで、神流川本谷呼ばれる流域にまで、森林軌道敷かれ戦前から戦後にかけて多量木材都市圏供給していました。その当時は、本谷最奥の地に上野村分校開かれ現地集材に関する人々児童にぎわったこともありました
神流川合戦
神流川合戦
烏川と神流川の合流点は、歴史上昔から現在に至るまで、重要箇所となってます。
戦国時代、この地は、織田信長家臣であった滝川一益小田原北条氏との総勢7大軍による壮絶な戦い神流川合戦」の戦場となりました
天正10年(1582)、織田信長本能寺の変たおれた直後関東管領として北関東制圧していた廐橋城(いまの前橋城主滝川一益は、上州軍を率いて京都上ろうとしました。これに対して小田原北条氏直武州鉢形城北条氏邦連合軍阻止しようとし、滝川16,000北条軍50,000激突しました戦場現在の神流川付近中心となったので、この戦いを「神流川合戦」と呼んでます。
戦争北条方の勝利におわり、滝川軍は斬首約3,760余級(豆相記)と伝えられています。「氏直、検視此の地に埋蔵す、よって首塚名あり(口碑)」岡之郷にはその胴塚があり、首実見したこの地を実見塚(字名)といいます
現在でも、新町ふるさと祭りにおいて、この勇壮な歴史絵巻が再現されています。
江戸当時上里町には上州武蔵の国分ける、神流川の渡し場が開設されいました。川にはけない政策があったため、川の向こう岸に行くことは困難でありました英泉浮世絵からも、半分かっていて、残り半分渡し船渡っていた様子うかがえます。
2.地域の中の神流川
"神流川流域では、川に根ざした伝統的な祭り受け継がれています。
お雛がゆ」は、子どもたち参加する三月節句行事です。シロ呼ばれる囲いの中で、食事をし楽しく過ごします
「お川下げ」は、川の恵み対す感謝祭りです。岡の上から水辺神輿渡御し、五穀豊穣祈願します。"

神流川の名前は、神(カム)の川が神名転じたことに由来してます。感納川、甘奈とも綴られ古くカミノ川といわれたというのは、武蔵20余群の北の果て、「上」の国から流れる川の意と言われています。
神流川流域では、神流川と日常生活との関わりが深い為、川に根ざした伝統的な祭りが、受け継がれています。
 お雛がゆ
お雛がゆ
お雛がゆ」は、昔、お姫様捕らえられていたが、やがて神流川に流されてきたのを助けお粥振る舞ったことに由来してます。
行事準備として、川原シロ(城)をつくりますシロとは、10前後入れ直径メートル円形状に、石を高さ50~60cmに積み上げてつくる囲い言います囲いの上に壇をつくり、そこに古いおひな様天神様などを置きます
お雛がゆ」の当日子供たち早朝から集まります以前行事通りおかゆでしたが、近年子供たち嗜好にあったカレーライスや、即席ラーメンなどになってます。それらをおひな様供え自分たちも食べ、あとは一日、このシロ中心とした川原遊びます


お川下げ
川下
「お川下げ(おかわさげ)」は、川の恵み対す感謝祭りです。岡の上から水辺神輿渡御し、そこで供物捧げられ神事が行われます。神流川流域は、干ばつの常襲地帯で、雨乞いの最も盛んなところでありました神饌小麦餅、甘酒を川に流すことにより、水の豊かな恵み期待し五穀豊穣願ったではないか考えられています。
川下げの行列は、神楽猿田彦命先導し、道彦、神主神饌者、神輿囃子氏子つづきます神輿神社出て川瀬至ります。その瀬の中に据え置かれ神官祝詞奉上され、神饌小麦餅がつぎつぎに瀬の中に投入され川下にいる子神たちに与えられます。その餅を拾って食べると、息災になるといわれています。
3.神流川の自然環境
"神流川は、三国山西側より多野山曲がりくねりながら流れてます。V字型の谷は急斜面形成し、そのため石垣築かれ段々畑美しくコンニャク等の栽培が行われています。また、全国銘石として知られる三波石ふるさと三波石峡は、国の名勝及び天然記念物指定されています。"

 オジの原生林
オジ原生林
神流川は、三国山西側より多野山曲がりくねりながら流れてます。V字型の谷は急斜面形成し、そのため石垣築かれ段々畑美しくコンニャク等の栽培が行われています。野山地の山腹スギヒノキ人工林は独特の美観呈し群馬県最大の「御荷鉾林業地帯」を形成してます。
神流川の上流部では、「シオジ」の原生林目立ちます。この源流一帯学術参考保護林、国の天然記念物、県自然環境保全地域指定されています。
三波石ふるさと三波石峡は、神流湖のすぐ下流にあり、国の名勝及び天然記念物指定されています。神流川のゆるやかな流れ沿って登仙間での1.2kmの峡谷に、巨岩奇石林立してます。その様太古からの歴史をも彷彿とさせ、神秘峡谷の名にふさわしい景観です。

 三波石峡
三波石峡
青みがかったトーン中に石英白く照り映え重厚さ格調珍重される三波石。その名のもとは、下流に並ぶ3つの名石、1番石・2番石・3番石が波の形をしているからとも言われています。
三波石学名は「三波川変成岩と言い鉱物地下深くで高い圧力や熱のはたらきによって再結晶し、一定方向配列しているため「三波川結晶片岩」とも呼ばれてます。この変成岩日本の国土縦断する中央構造線沿ってその南側細長く分布してます。色や含まれる鉱物組織などから緑色片岩黒色片岩と呼ばています。
4.烏・神流川の主な災害
"烏・神流川における主な災害として、明治43年8月台風10号昭和10年9月台風10号昭和22年カスリン台風による被害あげられます。"


発生発生原因被災市町村被害状況
明治43年8月台風10号群馬県高崎市高崎市
床上浸水 904戸
流出家屋 23
全壊 3戸
昭和10年9月 台風10号群馬県高崎市高崎市
床上浸水 1,000戸以上
流出家屋 10
死者 7名
昭和22年9月 カスリン台風群馬県高崎市高崎市
床上浸水 686戸
流出家屋 21
死者 2名

(注:この情報2008年2月現在のものです)




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