北条氏の上野侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 09:24 UTC 版)
本能寺の変は、北条氏にも伝わっており、6月11日、北条氏政は深谷の狩野一庵から本能寺の情報を得た事を滝川一益に伝え、引き続き協調関係を継続する旨を伝えている。但し狩野一庵は北条氏照の家老であり、既に深谷まで氏照の軍勢が北上していたことも示していた。更に北条氏は6月12日には、領国に動員令を発動しており、織田信長と信忠の死が確実な状況となると、北条氏政、氏直、氏邦、氏規が率いる5万の兵が上野に侵攻した。上野を治めてまだ3ヶ月しかたっておらず、軍の統制が十分に取れていない一益は、厩橋城に滝川忠征、松井田城に津田秀政と稲田九蔵の兵1500騎、小諸城に道家正栄を残し、1万8千の兵を率い北条勢を迎え討った。
※この「北条氏の上野侵攻」の解説は、「神流川の戦い」の解説の一部です。
「北条氏の上野侵攻」を含む「神流川の戦い」の記事については、「神流川の戦い」の概要を参照ください。
- 北条氏の上野侵攻のページへのリンク