北条氏の進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:33 UTC 版)
6月中旬に、秩父往還(雁坂口)を守備していた浄居寺城(中牧城、山梨市牧丘町浄居寺)の大村忠堯(三右衛門尉)・大村忠友(伊賀守)に率いられた山梨郡倉科(山梨市牧丘町倉科)の土豪・大村党が、大野砦(山梨市大野)に籠城して、後北条氏方に帰属した(『甲斐国志』)。 また、甲斐・相模間の鎌倉街道から近い笛吹市一宮町橋立にあった甲斐国総社の甲斐奈神社(橋立明神)の社家衆・大井摂元も後北条方に属した(根拠史料)。 後北条氏は、御坂峠の所在する笛吹市御坂町藤野木かまたは?南都留郡富士河口湖町河口に御坂城を築いた。
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