海難救助等
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1954年(昭和29年) 9月26日:洞爺丸台風により青函連絡船5隻(洞爺丸、北見丸、十勝丸、第十一青函丸、日高丸)が沈没し、1,430名が死亡(洞爺丸事故)。 1959年(昭和34年) 9月26日:伊勢湾台風により11,027隻が遭難。S-55による救難飛行を実施。 1965年(昭和40年) 10月7日:マリアナ海域漁船集団遭難事件により日本の漁船が多数沈没。死者1名、行方不明者208名の大惨事となる。これを機に、長距離での救難任務が求められ、YS-11やいず型巡視船の導入が決定する。 1966年(昭和41年) 3月5日:全日空羽田沖墜落事故の捜索活動で出動したが、ヘリが墜落して乗員3名が殉職した。 1970年(昭和40年) 3月16日:漁船19隻が択捉島単冠湾で遭難。巡視船「宗谷」、「だいおう」、「えりも」、「りしり」が救難に当たる。これを機に第一管区海上保安部内に流氷情報センターが設置され、流氷観測、通報体制が強化されることになった。 1974年(昭和49年) 11月9日:LPGタンカー「第十雄洋丸」とリベリア籍貨物船「パシフィック・アレス」が東京湾にて衝突、約20日間に亘り炎上。消防船「ひりゆう」、「しようりゆう」が消火に当たるも、第十雄洋丸は火災、爆発を繰り返しながら漂流を始め二次災害の危険が増したため、海上自衛隊に処分を依頼。艦砲射撃や魚雷などによる撃沈処分が行われた(第十雄洋丸事件)。 1983年(昭和58年) 9月1日:大韓航空機撃墜事件発生。その後約2ヶ月に亘り大規模な海上捜索を実施。 1990年(平成2年) 8月20日:樺太に住む当時3歳の男児コンスタンチン・スコロプイシュヌイが全身に大やけどを負う。サハリン州知事からの救助要請を受けて千歳航空基地所属のYS-11A「おじろ」が、日本の航空機としては戦後初めて宗谷海峡を越えて、コンスタンチンをユジノサハリンスク・ホムトヴォ空港から丘珠空港まで緊急搬送。 1997年(平成9年) 1月2日:ロシア籍タンカー「ナホトカ」海難流出油災害発生。当該船は破断事故の末沈没し、C重油約6,140klが流出。(ナホトカ号重油流出事故) 7月2日:パナマ籍タンカー「ダイヤモンド・グレース」座礁油流出事故発生。東京湾において座礁した当該船より原油約1,550klが流出。 1999年(平成11年) 10月22日:日本の会社が所有する大型貨物船「アランドラ・レインボー」が海賊に襲撃され行方不明となる事件が発生。船会社から通報を受けた海上保安庁は、鹿児島海上保安部所属の巡視船「はやと」とファルコン900航空機を派遣。フィリピン沖からマレーシア東岸にかけての南シナ海全域を捜索。 2000年(平成12年) 12月00:宮城県金華山はるか沖で、シンガポール船籍タンカーの乗員が重篤の状態になる。釧路海上保安署所属のPLH型巡視船「そうや」と塩釜海上保安部所属のPLH型巡視船「ざおう」が救助に向かう。搭載ヘリコプターの能力では本土まで直接搬送が不可能な沖合であったが、2隻の巡視船の協同対処により、初の「飛び石搬送」による急患搬送を行った。 2003年(平成15年) 7月2日:玄界灘海難事故発生。 2004年(平成16年) 10月20日:海王丸II世の座礁事故発生。翌21日、台風23号による荒天の中、乗員乗組員併せて167名が無事に救助された。 2009年(平成21年) 10月28日:伊豆諸島の八丈島近海で乗組員8人が行方不明となった漁船、第1幸福丸(鎮西町漁協所属)の捜索行い、八丈島付近で転覆した当該漁船を発見、船内から乗組員3人を救出した。 2011年(平成23年) 3月11日:東北地方太平洋沖地震発生。それにともなう東日本大震災に対応する。被災状況:仙台空港内の仙台航空基地が津波で被災し、建物・航空機が浸水。沿岸の保安署などが津波の浸水被害を受ける。巡視船まつしまが津波を乗り越え、その映像が後日公開される。 災害対策活動:広大な被災地域において他機関と連携して生存者の救出活動を行いつつ、海上部における行方不明者の捜索活動を行う。漂流船舶の回収等も行う。海上自衛隊とともに、福島第一原子力発電所事故の影響がある福島第一原子力発電所周囲10キロ圏内の捜索も行う。 復旧復興活動:平成23年度海上保安庁関係補正予算にて、被災した航空基地や航路標識の復旧や活動経費等に166億円。6月11日より国土交通省とともに海底地形の調査を開始する。 2015年(平成27年) 9月10日:茨城県常総市や宮城県内において、平成27年台風第18号に伴う大雨で大規模水害が発生。特殊救難隊や機動救難士が孤立した住民の救助活動に当たり、茨城県で99名、宮城県で8名の計107名の住民を救助した。
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