被災状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:18 UTC 版)
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により、8000系は当時の在籍車両数6両編成20本+3両の123両のうち半数以上にあたる11編成66両が被災した。被災編成と被災箇所は以下のとおり。 編成被災場所被災状況処遇8201F 石屋川車庫10番線 脱線 3両廃車、3両復旧 8213F 御影留置線21A線 脱線転覆 3両廃車、3両復旧 8215F 御影留置線22C線 脱線 全車復旧 8217F 石屋川車庫1番線 脱線 2両廃車、4両復旧 8219F 御影留置線22B線 脱線 全車復旧 8221F 石屋川車庫8番線 脱線 1両廃車、5両復旧 8223F 石屋川車庫13番線 脱線 4両廃車、2両復旧 8225F 御影留置線22D線 脱線 全車復旧 8231F 御影留置線22A線 脱線 全車復旧 8235F 御影留置線21A線 脱線転覆 2両廃車、4両復旧 8239F 御影留置線21B線 脱線 全車復旧
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被災状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:52 UTC 版)
この災害の特徴は、島根県側では洪水・土砂災害が発生したが、広島県側はほぼ土砂災害特に土石流災害だったことである。 島根では昭和58年豪雨と同様に、二級河川や一級河川の支川など中小河川で警戒水位を超えその幾つかで洪水が発生した。ただ、記録的な豪雨となった昭和58年豪雨と比べ降水量が少なかったため、その時と比べてダムの洪水調整がうまくいき被害を軽減することができた河川もある。また過去の災害から河川改修が進み、堤防の破断など洪水が起こりにくくなったため過去の被災より最小限に食い留めることができたとも言える。 一方で死者・行方不明者の全体の3/4は土砂災害によるものであり、昭和58年豪雨と同様に洪水災害よりも人的被害が多くなった。この一連の災害で最も顕著だったのが島根下府川流域であり、洪水災害のみならず土石流も発生した。15日の豪雨により浜田市近辺で、21日の豪雨では島根三隅町・広島加計町で、がけ崩れや土石流が起こっている。これらはこの地域に広く分布する赤色土やマサ土と崩れやすい土壌が存在していたこと、そして短時間での集中豪雨という土石流が起こりやすい降水条件であったことが要因である。 また、過去に甚大な被害を受けた経験のある浜田や三隅は防災無線が普及しており自らの判断で早めに避難活動を行ったものがいた反面、大きな被災経験がなかったことや砂防ダムなどの設備への過信から避難が遅れ被災したものもいた。加計では過去の豪雨災害が洪水のみであったため土砂災害に対して注意を怠っていた部分もある。
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被災状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 16:07 UTC 版)
那瑪夏小林 六亀 知本太麻里 林辺佳冬 被害の大きかった地域 台湾南部を中心に大きな被害が発生した。中でも、高雄県の甲仙郷(小林村)、那瑪夏郷および六亀郷(新開村落)、屏東県の林辺郷および佳冬郷、台東県の卑南郷(知本温泉地区)および太麻里郷などの被害は特に甚大であった。 台風によって観測史上最高の降雨を記録した屏東県では、台湾南部を横断する台湾鉄路管理局南廻線が深刻な被害を受けた。多くの堤防が崩壊し、数メートルの深さで冠水し、復旧には多くの日数を要した。また、高雄県では、山間部の死傷者が多く、特に甲仙郷小林村では集落全体が土砂に埋まり、わずかな生存者を残し数百人が死亡する事態となった。このほか、台南県や南投県などにも大きな爪痕を残している。台南県では急激な増水によって各地に浸水が発生、南投県や台東県では、山崩れや土石流によって人家が流されたり交通が遮断されたりし、こうした映像がメディアを通じて伝えられ、多くの人の注目を集めた。
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