浪曲師「南篠文若」時代・シベリア抑留
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1923年(大正12年)7月19日、新潟県三島郡塚山村塚野山(越路町塚野山を経て現・長岡市塚野山)で北詰家の三男として誕生。家業は本屋・印刷・書籍・文具商だった。幼少期からの友達として米山稔がいる。 1930年(昭和5年)、7歳の時、母が腸チフスで死去。この時、自らも発病し生死の境をさまよっていたため、母の臨終には立ち会えなかった。その後、妻を亡くした父親は家庭内を明るくしようと、夜になると三波を含めた3人の子どもを仏壇の前に正座させ、江差追分などの民謡を教えた。兄弟揃って一生懸命に歌ったが、父親の歌う民謡がひどく悲しいものに感じたという。 1932年(昭和7年)9歳の時に父が再婚。継母との関係は非常に良く、自分の連れ子と分け隔てなく可愛がってくれたという。 1936年(昭和11年)、家業が傾き、13歳の時、家族で上京。米屋、製麺工場で住み込みで働き始める。この頃から浪曲師への志望が高まっていく。同時期に寿々木米若に入門願いを出しているが、米若からは芸界の苦労や厳しさが書かれた丁寧な断り状が届く。しかし当時は浪曲に高い人気があり、志望者も多かったため、断り状さえ非常に光栄に感じたという。 1938年(昭和13年)、15歳。築地魚市場内で仲買人をしていた伯父の店「川悦」に就職。市場内でも仕事が終わると魚を入れる木箱(とろ箱)を重ねて即席の演台を設え浪曲を披露し、大人気だった。 1939年(昭和14年)、伯父が病に倒れ死去、「川悦」の経営に奔走するが、立ち行かなくなり店終い。たまたま八丁堀の住吉亭で行われていた「浪曲学校卒業生大会」という看板を見かけ、聴きに行ったことをきっかけに、16歳の9月、文京区本郷の「日本浪曲学校」への入学を決める。10月、東京・六本木の寄席「新歌舞喜」で初舞台。初舞台翌日には二つ目。3ケ月後、住吉亭で『南篠文若』の名披露興業、モタレ(最後の出演者 - トリ - の1つ前。若手にとっては最高の出演順)となる。以後、少年浪曲家として活躍することとなる。1年8か月後には、15日間程度だが、一枚看板で初の巡業を行っている。 1944年(昭和19年)、第二次世界大戦後期の1月、徴兵適齢のため20歳で帝国陸軍に入営し満州国に渡る。軍隊でもその腕を生かし入営半年も経たない内に各中隊別に口演を行い、のちに「浪曲上等兵」と渾名された。 1945年(昭和20年)8月9日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲国に侵攻してきたソビエト連邦(ソ連)軍と部隊は交戦。敗戦を同地で迎え9月11日に武装解除を受けソ連軍の捕虜となる。10月にハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後22歳から26歳までの約4年間、シベリア抑留生活を過ごす。収容所内でも浪曲を披露していたが、ソ連側による徹底した思想教育の中で、演目にも検閲が入るようになり、自らも強い影響を受け、オリジナルの「思想浪曲」や芝居を創作しソ連各地の収容所で披露するなど、捕虜教育係のような役割を負っていた。そうした事実を受け、帰国直後は「共産主義に洗脳されていた」と述べている。また、当時のソ連の捕虜の扱いについては「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難している。こうした自身の戦争体験・抑留体験もあり、後に1986年11月10日「天皇陛下御在位60年大奉祝祭」に奉祝委員としてテープカットに参加したり、日本を守る国民会議(現・日本会議)の代表委員となるなど、保守系政治活動に参加するようになった。 1949年(昭和24年)9月、帰国。浪曲師として復帰。12月、三味線漫才であった野村ゆきと結婚。ゆきは浪曲の曲師として支える。1950年代半ばに入ると、時代の流れと共に流行歌から演歌大衆歌謡が流行り始める。戦後の社会の急速な変化の中、浪曲は次第に衰退し始めるであろうと予感していた南篠は、歌の持つ大きな力を感じていた。収容所時代から「オーケストラをバックに歌ってみたい」との密かな夢を抱き始めており、加えて、1955年(昭和30年)4月、「おんな船頭唄」を引っ提げ、民謡歌手から歌謡界にデビューした三橋美智也の存在も大きな刺激になり「“民謡調の歌謡曲”がヒットするのなら、“浪曲調歌謡曲”の世界があってもいいのではないか」との思いをさらに強くすることとなった。その後、南篠はついに三味線一本の浪曲師としての活動に見切りをつけ終止符を打つ。
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