浪曲・落語・講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 05:11 UTC 版)
詳細は「節談説教」、「浪曲」、「落語」、および「講談」を参照 幕末に生まれた浪曲(浪花節)は、説経節と歌祭文の双方を源流として生まれた語りものである。上述のちょんがれ(ちょぼくれ)、あほだら経、デロレン祭文はいずれも浪曲の前身であり、浮かれ節などと同系統である。1877年(明治10年)、「浮かれ節」の井上新之介、のちの広沢虎吉(二代目)が大阪府の芸人鑑札を受けたころには、現在の浪曲の基礎がかたちづくられていただろうと推測される。 一方、平安時代以来、とくに浄土教諸派と結びつき、音韻抑揚をともなって衆生を仏道にいざなってきた唱導は必ずしも芸能化せずに説教(法話)のかたちでのこったと考えられる。この説教(唱導)と説経節、さらには「ちょんがれ」とが結びついて節談説教が興った。白声(しらごえ)で語るようになった節談説教は芸能化して民衆の娯楽となったいっぽう、浪曲の一源流となり、また、講談・落語の各芸能の母体となった。 浪曲・落語・講談はこのように、それぞれ大道芸をその起点のひとつとしているが、近世以降、浪曲は忠君愛国と義理人情、落語は笑いと人情、講談は教養をおもなテーマとしながら、いずれも寄席演芸として大きな発展をとげた。
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