流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 407 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1985.06.06(昭和60.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 伝奈良県出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鋳銅。身の両側がわずかに内反りとなって、ほぼ直線的に広がる形態の銅鐸で、いわゆる突線鈕式に属するものである。 幅の狭い両鰭には鋸歯文をめぐらし、鰭裾には数条の平行線を施す。いま飾耳は欠失するが、もと身部に三対、鈕にも三箇があった痕跡をとどめる。鐸身は全体が幅に比して前後の厚みがあり、身部は縦の割付け線三条で四区画され、区画ごとに反転し、九段の流水文が施されている。両面共裾が広く、裾横帯は、上が二条、下が三条の細突線で囲まれた鋸歯文がめぐらされている。鈕は両面共、鰭の延長を外帯として、二重に鋸歯文帯、厚味のある隆起部を中心として綾杉文帯、次いで細線で画された無文帯と続き鈕孔となる。鈕孔は半円で比較的大きく、鈕孔底の立ち上がりがある。 なお、両面共、身中央部に小さな鋳損がみられ、両側鰭裾部が欠失するが、全体に比較的薄手造りで、文様は鮮明、鋳上がりも精緻である。内面には土、緑錆が付着しているが保存は良好、身の中央下方に漆で盛り上げた「子々孫々寶」銘は、後世のものである。 流水文銅鐸としては均整のとれた大形に近いものであり、施文は全体に繊細で鋳上がりがよい。両面共、身部は縦に四区画の割り付け線を残し、それを目安として区画内に流水文が施されている。流水文の構成が複雑に入り込む、特殊な文様をもつ代表例で、施文方法などをみるうえに貴重な資料である。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 245 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1962.02.02(昭和37.02.02) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 徳島県阿南市山口町末広出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弥生時代の資料。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 408 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1985.06.06(昭和60.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鋳銅。比較的厚手な鋳成で、両側共、身の中央部より下方にかけての反りが強く、裾が広がる安定した形態の銅鐸である。 やや幅広の両鰭は裾にかけて幅を増し、左右各三箇の飾耳を付け鈕の周囲にも三箇を飾る。 鐸身は、両面共文様の基本には差異はないが、一面では肩に接した上部と身中央に斜格子文を施した横帯を設けて上下に分け、それぞれに四段の流水文が施されている。裾幅は比較的広く設け、上側に鹿の列を鋳出し、上方には太い三本の条帯とその上部に鋸歯文を連ね裾横帯文となす。他の一面では裾部の条帯は同様であるが、身の中央の横帯を省き、全面に非対称的な九段の流水文が施されている。裾には背中合わせの双頭渦巻文を左右に二箇ずつ縦位に鋳表す。 鰭は鋸歯文をめぐらし、飾耳の部分では、それぞれ四条の平行線を施し区画している。鈕はこの延長を外帯とするが、一面では、その内側にも鋸歯文がめぐると共に、隆起部を中にして綾杉文、鋸歯文、さらに低い隆起部を中にした綾杉文が続き鈕孔となる。他の面も同様であるが、外帯のすぐ内側のみ、鋸歯文のほか双頭渦巻文四箇が表されている。 一方の鰭最下部の飾耳は欠失し、一面の裾縁切込みの一方端部が欠損。個々の流水文は粗く大振りに施され、文様面にも磨滅がみられるが、全体に整美な調子を整えた文様で鋳上がりはよく、保存状態は良好である。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 412 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1985.06.06(昭和60.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弥生時代の資料。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 427 |
枝番: | 03 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 滋賀県野洲郡野洲町小篠原大岩山出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 大岩山は、琵琶湖東岸、近江平野に臨んで屹立する独立丘で、過去合計二十四口もの銅鐸が、山頂及び山腹の各所から出土している。これらの銅鐸は、明治十四年出土の十四口と、昭和三十七年、土取工事で出土した十口に大別されるが、本件は後者の一括である。偶然の発見によるため、出土状態に関する正確な記録はないが、関係者等からの聴取によって、流水文銅鐸一口が山頂付近で単独に、残り九口は大・中・小型の各々三箇体ずつが三組の入れ子状に、山腹の土壙中に埋納されていたことが判明した。 十口の銅鐸は、流水文銅鐸一口を除き、袈裟襷文銅鐸と突線袈裟襷文銅鐸のそれぞれが、共通した文様構成を持つが、細かくみれば六号銅鐸のように縦帯が裾部にまで伸びたものや、突線が比較的細い四号銅鐸などの特色あるものが含まれる。また総高四十七・五センチの三号銅鐸は、大形品の多い突線袈裟襷文銅鐸にあって、最も小形な部類に属する。 本件を含めた大岩山出土銅鐸は、「小篠原銅鐸」等と通称され、わが国弥生時代青銅器研究の基礎資料となっている。特に一地域に集中して、様々な型式の箇体が出土する例は稀であり、学術的価値が高い。 なお、本件と別に明治十四年出土銅鐸のうち、東京国立博物館所蔵の二口が今回あわせて重要文化財に指定された他、辰馬考古資料館所蔵の二口も、昨年度重要文化財の指定を受けている。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 34 |
枝番: | 04 |
指定年月日: | 1969.06.20(昭和44.06.20) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 兵庫県神戸市灘区桜ヶ丘町出土 |
員数: | 3口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | これらの一括遺物は昭和三十九年十二月神戸市灘区桜ケ岡町で土取り作業中に出土したものである。同一地点から銅鐸が数多く出土した例としては明治十八年八月滋賀県野洲から発見された十四口が最も著名であり、さらに近年その付近から十口出土しているのが注目される。それに次ぐものは昭和七年徳島市での七口の発見報告と、江戸時代に淡路の笥飯野から八口出土したことが江戸時代の記録にあるが、それらはいずれも散逸したものが多く、また一か所に保存されていないので、本遺跡出土のものはその意味においてもきわめて貴重な新例を加えたものである。しかも二口の袈裟襷文銅鐸に旧大橋家の銅鐸(国宝・伝香川県出土・現在国有)と同様の画象を鋳表わしていること、流水文銅鐸の一口は滋賀県新庄(大原総一郎氏蔵・重文)、鳥取県泊(東京国立博物館保管)の二か所から出土したものおよび辰馬悦蔵氏所有のもの(二口、うち一口は重文)と、一口は岸和田市神於【このの】(京都大学保管)、一口は鳥取県本庄(京都国立博物館)から出土したものといわゆる同笵であること、しかも銅戈七口を併せ出土していることなどは、この種青銅遺物の性格を知る上にもきわめて重要である。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 112 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1953.03.31(昭和28.03.31) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 福井県坂井郡大石村大字井向出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弥生時代の資料。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 113 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1953.03.31(昭和28.03.31) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 滋賀県野洲郡中洲村大字新庄出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弥生時代の資料。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 178 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1958.02.08(昭和33.02.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 兵庫県豊岡市気比出土 |
員数: | 4口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弥生時代の資料。 |
流水文銅鐸
主名称: | 流水文銅鐸 |
指定番号: | 222 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1960.06.09(昭和35.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鋳銅。比較的厚手な鋳成。身の両側が、ほぼ直線的に広がる形態の重厚な中形銅鐸で、いわゆる外縁付鈕式に属するものである。 鐸身は、両面共文様の基本には差異はなく、中央上寄りには狩猟の光景を鋳表した横帯を設け、その上に二段、下に四段の流水文を施している。裾には鋸歯文をめぐらせた裾横帯を設ける。 全体に分厚く鋳上がりが悪く、湯切れ、型崩れと思われる部分の鋳掛けがあり、文様も鮮明でないが、流水文銅鐸の中でも比較的古い時期に属するものである。神戸市桜ヶ丘出土一号流水文銅鐸(昭和四十五年五月二十五日、国宝)を初鋳とする五箇の同笵銅鐸が知られているが、そのうちの二次鋳によるものである。特に中横帯に鋳表された画像は、同笵の銅鐸によって相互に不鮮明な箇所を補い合うことができる点で重要である。それによると一面は右端から両棲類の動物、弓を持つ人物が鹿の群を追う狩猟の図、その間に蜻蛉、蟹など、他の面は鹿の群と人物、動物の群などが鋳表されている。また同笵の証しは、鋳型の崩れや、笵補修による鋳成の様相からも察せられ、弥生時代の鋳造技術を知る上に貴重な資料であり、その学術的価値にはきわめて高いものがある。 なお、三次鋳は、滋賀県新庄出土品(昭和二十八年三月三十一日、重要文化財)、四次鋳は、辰馬考古資料館蔵(昭和三十五年六月九日、重要文化財)、五次鋳は、鳥取県泊出土品(東京国立博物館保管)である。 |
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