突線袈裟襷文銅鐸
主名称: | 突線袈裟襷文銅鐸 |
指定番号: | 401 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1984.06.06(昭和59.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 愛知県名古屋市瑞穂区軍水町出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鋳銅。身の両側が強く内反りとなり、裾にかけて広がる形態の大形銅鐸である。 幅広の鰭は外縁に三条の突線をめぐらし、内に長い鋸歯文を付し、半円形の飾耳二箇づつを並べて身の左右に三対を飾るが、いま一方の鰭の二箇所では欠失し、また鈕には飾耳を付していない。鐸身には三条一組の突線を横に四帯、縦に一帯を配して全体を六区に分けている。また鐸身の上端にも同様の突帯をおき、裾横帯は鋸歯文を加えた四条一組の突帯がめぐる。身の横帯は中央の二段がそれぞれ綾杉文に挾まれるとともに中央の縦帯左右には雷文を鋳出している。各区内には連続渦文を三段にぎっしりと配し飾るが、文様の構成は均一でない。 小判型の大形鈕は鰭の延長が外縁となり、更に順次内に向かって三条一組の突帯に挾まれて鋸歯文、高い隆起部に綾杉文を付し、三条の突帯、重弧文帯を順次めぐり鈕孔となる。身の内は裾端近くに一条の太い突帯がめぐる。 両面共裾端部に一部欠失部分があるほか、鰭、鈕などにも補修痕を遺す。全体に青錆に覆われ、脆弱化したところもあるが、鋳上りは鮮明であり、保存状態も良好である。 名古屋市街地の東方を流れる天白川の中流域、右岸に形成されている瑞穂台地の南端から出土したもので、いわゆる突線付鈕式の大形袈裟襷文銅鐸で、三遠式の一定法則に従った装飾をもつものである。東海地方の弥生文化をみるうえに欠かせない貴重な資料である。 |
突線袈裟襷文銅鐸
突線袈裟襷文銅鐸
主名称: | 突線袈裟襷文銅鐸 |
指定番号: | 424 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 滋賀県野洲郡野洲町小篠原大岩山出土 |
員数: | 2口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 1 銅鋳。裾が緩やかに開く肉厚、均正な作りの銅鐸で、わが国出土銅鐸中最大の箇体。鐸身に六区画袈裟襷文を表わし、大形で肉厚の鈕には突線と鋸歯文【きよしもん】・綾杉文【あやすぎもん】を交互に配す。鈕の耳飾は大形で、鈕【ちゆう】に配された菱環部【りようかんぶ】の突線が舞の一部にまで伸びる。全体に大形なわりに湯回りは良く、鋳損等はみられない。内面突帯は二条めぐる。内外面共に厚い緑錆に覆われ、随所に砂粒が付着する。(明治十四年出土一号銅鐸)。 2 銅鋳。裾が直線状に開く細身の銅鐸。鐸身には横帯優位の六区画袈裟襷文を表わし、その内部に細かな斜格子文を充填する。鈕は扁平で鈕孔をめぐり鋸歯文帯が鋳出されるが、その片面には連続渦文も配され、本銅鐸を特徴づけている。裾広がりの鰭と鈕には、比較的大形の飾耳がつく。なお、本銅鐸の鐸身裾には、鳥と思われる動物画二箇が描かれ、大岩山出土銅鐸中、現在唯一の絵画文のある箇体となっている。内面突帯は一条で、全体に厚く緑錆が覆う(明治十四年出土二号銅鐸)。 本銅鐸は、明治十四年、同所から十四口出土したうちの二口で、今回、昭和三十七年出土の十口(滋賀県所蔵)とともに、重要文化財として指定を行うものである。 |
突線袈裟襷文銅鐸
主名称: | 突線袈裟襷文銅鐸 |
指定番号: | 427 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 滋賀県野洲郡野洲町小篠原大岩山出土 |
員数: | 7口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 大岩山は、琵琶湖東岸、近江平野に臨んで屹立する独立丘で、過去合計二十四口もの銅鐸が、山頂及び山腹の各所から出土している。これらの銅鐸は、明治十四年出土の十四口と、昭和三十七年、土取工事で出土した十口に大別されるが、本件は後者の一括である。偶然の発見によるため、出土状態に関する正確な記録はないが、関係者等からの聴取によって、流水文銅鐸一口が山頂付近で単独に、残り九口は大・中・小型の各々三箇体ずつが三組の入れ子状に、山腹の土壙中に埋納されていたことが判明した。 十口の銅鐸は、流水文銅鐸一口を除き、袈裟襷文銅鐸と突線袈裟襷文銅鐸のそれぞれが、共通した文様構成を持つが、細かくみれば六号銅鐸のように縦帯が裾部にまで伸びたものや、突線が比較的細い四号銅鐸などの特色あるものが含まれる。また総高四十七・五センチの三号銅鐸は、大形品の多い突線袈裟襷文銅鐸にあって、最も小形な部類に属する。 本件を含めた大岩山出土銅鐸は、「小篠原銅鐸」等と通称され、わが国弥生時代青銅器研究の基礎資料となっている。特に一地域に集中して、様々な型式の箇体が出土する例は稀であり、学術的価値が高い。 なお、本件と別に明治十四年出土銅鐸のうち、東京国立博物館所蔵の二口が今回あわせて重要文化財に指定された他、辰馬考古資料館所蔵の二口も、昨年度重要文化財の指定を受けている。 |
突線袈裟襷文銅鐸
主名称: | 突線袈裟襷文銅鐸 |
指定番号: | 504 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1995.06.15(平成7.06.15) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 徳島県徳島市国府町矢野遺跡出土 |
員数: | 1口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 銅鋳造。鐸身【たくしん】の裾が緩やかに開く、肉薄なつくりの大形銅鐸である。 鐸身断面は正円に近く、鋳上がりは非常に良好で、ほとんど鬆【す】も認められない。鐸身裾の一部と飾耳【かざりみみ】一箇を欠くほかは、完存する。 鈕【ちゆう】は突線鈕式【とつせんちゆうしき】で、外縁に双頭渦文【そうとうかもん】が鋳出された三箇の飾耳があり、鈕孔【ちゆうこう】の下部には数条の突線が鋳出された鈕脚壁【ちゆうきやくへき】がある。鐸身は斜格子文を施した四横帯と、三縦帯で六区画の袈裟襷文を構成する。この下には鋸歯文帯【きよしもんたい】、下辺横線帯・広い無文部を隔てて、緩やかな弧状に成形された裾部に至る。袈裟襷文部分は、横帯・縦帯とも輪郭を二本ずつの区画突線で縁取り、中軸には三本一組のひときわ太い軸突線が上下を貫く。区画の内側には文様や絵画はない。最上部の区画内と鐸身裾には長方形の型持孔【かたもちあな】が、表裏に各四箇所ずつ穿たれる。片面の文様割付けは、全体にやや右下がりに傾いている。鰭【ひれ】の左右には二箇一対の半円形の飾耳が三組ずつ付き、それぞれに五~六条の孤線文が描かれる。 内面には裾から一四センチの内外の位置に幅〇・六~一・〇センチの内面突帯【ないめんとつたい】が一条めぐるが、これは細く、痕跡的である。銅鐸の型式分類では最終段階の「近畿式C系列」であり、文様構成等は、和歌山県南部川村【みなべかわむら】出土の雨晴山銅鐸に近い。 本件を出土した矢野遺跡は、吉野川の支流、鮎喰【あくい】川の左岸に所在し、周辺には銅鐸を出土した名東【みようどう】遺跡や、阿波国分寺跡、阿波国府跡等がある。調査は平成四年から、国道建設に先立って実施され、同年度内に三、六三〇平方メートルが発掘され、弥生時代と古墳時代以降の、二時期の遺構面が検出された。弥生時代の遺構には、住居跡・土壙・溝があり、調査は近隣の地点で現在も継続されている。 本銅鐸は、弥生時代の遺物包含層を調査中、鰭の部分が発見され、精査の結果、埋納坑【まいのうこう】を伴うことが明らかにされた。埋納坑は長径一三七センチ、短径六一センチ、遺構確認面からの深さ五〇センチで、砂礫層を掘り込んで構築されていた。銅鐸は、この坑の中央に横倒しに、鰭を上下に立てた状態で埋納されていた。さらに注目されるのは、銅鐸を取り巻く埋め土の観察所見である。すなわち、銅鐸の周囲には色調が異なり、微細な木炭粒の多い、二重の黒褐色砂質土が銅鐸全体を包み込むように、五~一一センチの厚さで検出されたのである。このことは、木質の遺存こそないが、当初、銅鐸が何らかの木製容器に収容され、容器ごとこの地に埋納された可能性を示している。さらに、埋納坑の周囲には七箇の柱穴跡【ちゆうけつあと】が検出され、覆屋【おおいや】の存在も推測されている。 近年、発掘調査で埋納状態が確認された銅鐸は幾つかあるが、本件は、これらのなかでも銅鐸の遺存状態がよく、その埋納状態を特に具体的に知ることができる好例であり、その学術的価値は高い。 |
重要文化財のほかの用語一覧
考古資料: | 突線袈裟襷文銅鐸 突線袈裟襷文銅鐸 突線袈裟襷文銅鐸 突線袈裟襷文銅鐸 立岩遺跡堀田甕棺群出土品 笠塔婆 筑前吉武遺跡出土品 |
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