筑前吉武遺跡出土品
主名称: | 筑前吉武遺跡出土品 |
指定番号: | 423 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 吉武遺跡は福岡市の西部、早良平野を北流する室見川左岸の扇状地上に位置する。昭和五十六年から福岡市教育委員会による発掘調査の結果、各時代にわたる考古学的成果をみたが、特に弥生時代の十群以上、総数千二百基を越える甕棺墓【かめかんぼ】、木棺墓【もつかんぼ】が発見された。遺構としては多鈕細文鏡【たちゆうさいもんきよう】などの豊富な副葬品を伴う三号木棺墓(高木地区)、甕棺二十七基以上を検出した墳丘墓(樋渡【ひわたし】地区)など、注目されるものがある。このうち、今回指定するものは、樋渡、高木、大石の三地区から出土した甕棺・木棺墓の副葬品である。 本遺品を出土した三地区は隣接し、本来一連の遺跡として捉えられるが、総じて樋渡地区には鉄器が、高木地区には青銅器・玉類が多く、また大石地区では玉類が極端に少ないという特徴がある。なかでも精巧な多鈕細文鏡をはじめ、これと組み合う銅剣・銅戈【どうか】・銅矛【どうほこ】、硬玉勾玉等の玉類などは、同時期の墓の副葬品としては、著しく他と隔絶した様相を示している。 青銅器には細形銅剣【ほそがたどうけん】が多く、刃部を鋭く研磨し、鎬【しのぎ】を抉入部まで通すものと、関【まち】際まで施すものに大別でき、加えて細形の銅戈・銅矛も注意をひく。いずれも朝鮮半島と密接な関わりを持つとみられる遺品が多く、我が国の出土例では最古の位置にあり、特に青銅器等の豊富な出土量は他に例をみない。また、切先部のみが被葬者に突き刺った状態で埋納されたと思われる磨製石剣類もある。 全体として金属器等は大陸的色彩が極めて強く、とりわけ朝鮮半島との関わりが密接であり、わが国弥生時代の研究に欠かせない、学術的価値の高い遺品である。 |
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