歴史教科書への反対意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:07 UTC 版)
「新しい歴史教科書をつくる会」の記事における「歴史教科書への反対意見」の解説
日本神話の記述について問題になったものに天岩戸の物語がある。アメノウズメの命が天照大神を引き出すために踊ったくだりが「胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った」という性的描写があった。原典に忠実な現代語訳ではあるが、教科書でここまで表現する必要性はなく、思春期の生徒に対して不適切であるという意見もあった。2005年版では「おもしろおかしく踊った」と遠回しな表現に変更された。 第一次世界大戦では、日本海軍は地中海に船団護衛のために巡洋艦および駆逐艦を派遣した(詳細は第一次世界大戦下の日本を参照のこと)が、2001年版244頁と245頁に「地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合国船舶の前に全速で突進して盾となり、撃沈されて責務を果たした。犠牲になった日本海軍将校の霊は、今もマルタ島の墓地に眠っている」とのエピソードが紹介されているが、事実誤認ばかりである。このエピソードは樺型駆逐艦「榊」の事であると思われるが、「榊」は1917年6月11日にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U27から雷撃され艦首切断、戦死者59名負傷者16名を出す被害を受けている。日本海軍で大破したのは「榊」だけであり、修理に8か月を要したが撃沈されたわけではなく、現役復帰し1932年に除籍されるまで活躍していた。そのうえ榊が雷撃されたのは護衛任務からの帰途であり、盾になった事実はない。つくる会が日本海軍の活躍を取り混ぜて「盾になった、沈没した」と創作した話である。 南京大虐殺(南京事件)を史実として扱っていないという意見。2001年版教科書270頁では「このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た」として、南京市内の犠牲が出たことを認めてはいるが、戦争被害を出来るだけ軽視させるための記述である。また、271頁では中国共産党が「政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針としていた」記述しているが、根拠薄弱な事実を強調している。 昭和天皇について「国民とともに歩まれた生涯」として人物コラムで2頁にわたり記述されているほか、終戦の聖断などマッカーサーの回想録を基に記述している。それらの記述は「昭和天皇神話」を作り出すものである。 2001年版では銀輪部隊の活躍(同276頁)を写真付きで取り上げているが、この銀輪部隊は米英の機械化部隊に少しでもおいつこうとして、南部仏印(ベトナム)で現地徴発した自転車で急遽「制式採用」したものであり、戦時中の日本の宣伝そのままで、紹介したものであり、決して自慢できるものではない。 与謝野晶子が日露戦争の際に発表した『君死にたまふことなかれ』(旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて作られた詩とされる)を、つくる会の教科書では、家の存続を願って跡取りである弟の無事を願ったにすぎないとして、与謝野の思想は「家や家族を重んじる着実なものであった」として、非戦の真意はないとした。しかしながら、与謝野は同時代の大町桂月の批判を「国粋主義者」と批判していることや、与謝野の反良妻賢母主義の生涯は従来の家制度的道徳に反するものである。 歴史教科書は、国際的な視点で書かれるべきであり、日本的な視点のみで記述するのは望ましくない。 新しい歴史教科書の記述には、誤って事実と異なっている部分があり、教科書としての正確性の検証が足りない。 日本を擁護している割には、日本の正当性に関して綿密な記述が少なく、極東国際軍事裁判を基調とするいわゆる自虐史観を語り口によって情緒的に否定しようとする傾向がある。このような記述では、歴史を総合的に考察させることを妨げ、誤解を生じさせてしまう恐れがある。 教育については、「教育勅語」の全文を掲載して注釈まで付けているのに対して、「教育基本法」については「教育基本法が制定されて民主主義教育の原則がうたわれ」としか記述がなく、戦前から戦後にかけての教育の変化(特に戦後の教育)を理解することが難しい。 日本の歴史上の人物を安易に称賛するだけでは、外国の人物を考察することが不可能になる。 広島・長崎の原子爆弾投下については、その必要性があったことが説明されることもあるが、原子爆弾の被害などについても触れられ、そのほかの教科書が一概に日本だけを悪とする記述にはなっているわけではない。 中央権力以外の歴史・文化に殆ど無関心で、とても「日本の歴史」教科書と言えるものになっていない。 古代の倭人と日本人を同一視するあまり、古代日本人の全体像を押さえていない。 全体的に日本の多様な歴史や文化を一部の政治史に閉じ込めて、矮小化している。 つくる会の2001年版では、日米関係史に「反米」と現状肯定が奇妙に共存しており、ペリー来航時の白旗書簡(現在は偽書とされる)を根拠に「砲艦外交」と批判して尊皇攘夷を正当化したのを初め、日英同盟の廃止をアメリカの強い意思でもたらされたものであり、日米開戦に至ったのもアメリカに問題があると主張しているうえに、アメリカによる占領政策が「自国の戦争に対する罪悪感をつかす」と反米的主張が繰り広げられている反面、1960年の日米安全保障条約改定を「これにより日米両国は、より対等の関係になった」と現状を肯定的に評価することで、相反する歴史観が叙述されている。 小林よしのりは改訂版について、ポツダム宣言は日本を破滅から救ったという親米的な記述が登場しているが、あまりにもアメリカへ媚びていると批判した。 「(太平洋戦争について)扶桑社版は『日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った』などと書き、戦争に向かう教科書ではないかと不安を持った」(東京都杉並区の「つくる会」教科書採択時における反対側教育委員の意見)。 「富岡製糸場など紡績業」とあるが、正しくは製糸業である。
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