欧米の大衆文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:37 UTC 版)
「シャーリー・テンプル」の記事における「欧米の大衆文化」の解説
欧米の児童向け文化は既に19世紀後半に成立しており、1920年代の映画界にはジャッキー・クーガンなど子役の大スターが出現、やがて1930年代に入るとシャーリー・テンプルの映画とディズニーの短編アニメがそれを大きく革新していく。この成功が1930年代と1940年代における少女スターの黄金時代を導き、ディアナ・ダービンやエリザベス・テイラー等の人気に道を開いたとも言える。 1930年代には米英で娘に「シャーリー」と名付けることが流行、女優シャーリー・マクレーンも自分の名前はシャーリー・テンプルから取ったと語っている。男性なのにシャーリーと名づけられてしまった気の毒な例もあり、また植物にもスイートピー とシャクヤクに同名の品種がある。 アイデアル社発売の「シャーリー・テンプル人形」は1930年代から数十年間にわたりヒット、初めて発売された時点の商品は2009年現在、状態さえ良ければ一体数万円から数十万円の価格帯で取引されたという。アメリカのダンバリー・ミント社 (英語Danbury Mint) が製作・販売した陶製の人形は全10種類、2009年には状態により販売価格が2000ドルを超える。eBay等ウェブ上のオークションで人形一体に百万円単位相当の入札もあった。 名前にちなんだカクテル (ノンアルコール・カクテル) は2種類、シャーリー・テンプルとシャーリー・テンプル・ブラックのどちらもソフト・ドリンクである。禁酒法が1930年代に廃止され家族づれでお酒を飲みに行く機会ができると、子供向けにこの飲み物が発案された。作り方はレモンライム・ソーダもしくはジンジャーエールにグレナデン・シロップを加えマラスキーノ・チェリーで飾る。後者のシャーリー・テンプル・ブラックはレモンライム・ソーダの代わりにコカコーラを使う。シャーリー自身は酒場で名前を勝手に使われることに違和感を覚えていたようである。 小説への影響も見られる。アメリカの小説家ジェイムズ・サーバーの短編小説に登場する主人公の中年男性はほうれん草が嫌いなのに、どこに行ってもシャーリー・テンプルのヒット曲「ほうれん草を食べなさい」が聞こえてきてヒステリーを起こす。1949年、ドイツの児童文学作家エーリッヒ・ケストナーは著書『ふたりのロッテ』 で「シャーリー・テンプルは7歳か8歳のとき自分の出た映画を映画館に見に行ったものの、幼いため入場を断られたことがある」と述べているが間違いで、そういう事実は全くない。その当時アメリカで映画館の入場制限は3歳以下であり、それより年上で入場料大人15セント・子供8セントさえ払えば誰でも鑑賞できた。出演作が劇場で初公開されたとき4歳5ヶ月だった彼女は入場できた。5歳の時には最も初期に出演した短編映画を母親と一緒に見に行き、フォックス・フィルム社にスカウトされて移籍するエピソードもある。一部の日本の情報源にはケストナーの文章を更に取り違えて、シャーリーがPG13指定の作品に出たため入場を断られたと書かれているが、これも完全な間違いである。アメリカで映画のレイティングシステムがしかれるのはベトナム戦争の時期からである。 毎年1月1日にカリフォルニア州で開かれるローズ・パレードは新年の伝統行事であることから、アメリカ全土に放送される。シャーリーは3回、その儀式長グランド・マーシャルを務めてきた。すべて開催の節目に当たる年で50回目の1939年、100回目の1989年と110回目の1999年である。記録によると、このグランド・マーシャルを複数回にわたり務めた人物としてはアイゼンハワー大統領、ニクソン大統領等がいる。 ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットには多くの人々が描かれ、2ヵ所に登場するのはバンドメンバーを除くと彼女しかいない。1964年8月のカウ・パレス公演の前にビートルズと対面している。 歌を取上げるなら、アニメ映画『シュレック3』で登場人物のクッキーマンがシャーリーの主演作『輝く瞳』の劇中歌 「オン・ザ・グッド・シップ・ロリポップ」(邦題「こんぺい糖のお舟」) を歌う (『シュレック3』のDVDを参照)。TVアニメ『ザ・シンプソンズ』は過激でどぎついギャグで有名で、あるエピソードで父親のホーマーはキングコングに変身し街を破壊してまわり、劇場でシャーリー・テンプルに出会ってしばらく歌を聴く。改心するかと思いきや、突然、彼女を飲み込んでしまう (第4シーズン第4エピソード「恐怖のツリーハウス3」 (9F04))。別のエピソードではタップダンスがうまい彼女のパロディとして、タップダンス教師リトル・ヴィッキー・ヴァレンタインが登場すると最後に「オン・ザ・スペースシップ・ロリポップ」という替え歌を歌う (シャーリーの持ち歌は「オン・ザ・〈グッド・シップ〉・ロリポップ」。第11シーズン第20エピソード「スプリングフィールド最後のタップダンス」 (BABF15))。 アメリカ映画界の大スターの例にならい、6歳の1934年にハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターの前の路面に手と足の型を残す。足型は史上初の裸足で、その原因はちょうど永久歯に生え変わる時期でもあり、折悪しく式典の途中で乳前歯がポロリと抜けてしまったからだった。多数の新聞記者とカメラマンに取り囲まれ、つめかけたファンが目をこらすなか、シャーリーはとっさの機転で口を閉じたままほほえむと靴を脱ぎ、カメラと人々の目線を足元に導いて裸足で足型を残して歯が抜けた顔を見せなかったという。ヴァイン通り1500番地のハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの星に「シャーリー・テンプル (映画)」という銘が刻まれた (ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星の一覧も参照)。 20世紀フォックスの本社ビルが建設されたのはシャーリーのおかげで破産を免れた後であり、ビルの正面玄関に金箔を貼った少女時代のシャーリーの小さな銅像が置かれた。かつてはその前を通る社員は重役であれ誰であれ、一度立ち止まって会社を救ってくれた恩人に頭を下げる慣わしだったという。その後、ビルは老朽化により取り壊されたものの、スタジオの庭には今も初代より大きな2代目の銅像が立つ。また同社の社内託児センターはシャーリー・テンプル託児センターと命名された。
※この「欧米の大衆文化」の解説は、「シャーリー・テンプル」の解説の一部です。
「欧米の大衆文化」を含む「シャーリー・テンプル」の記事については、「シャーリー・テンプル」の概要を参照ください。
- 欧米の大衆文化のページへのリンク