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東京都立西高等学校

(東京都立第十新制高等学校 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 00:10 UTC 版)

東京都立西高等学校
北緯35度41分30.9秒 東経139度36分17秒 / 北緯35.691917度 東経139.60472度 / 35.691917; 139.60472座標: 北緯35度41分30.9秒 東経139度36分17秒 / 北緯35.691917度 東経139.60472度 / 35.691917; 139.60472
過去の名称 東京府立第十中學校
東京都立第十中學校
東京都立第十新制高等學校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都
併合学校 東京府立第十八中學校
(玉泉中學校)(1946年統合)
設立年月日 1937年1月22日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D113299903057
高校コード 13213G
所在地 168-0081
東京都杉並区宮前4-21-32
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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東京都立西高等学校(とうきょうとりつ にしこうとうがっこう、: Tokyo Metropolitan Nishi High School)は、東京都杉並区宮前に所在する東京都立高等学校。略称は都立西、西高(にしこう)。

概観

都立ナンバースクールの府立十中を前身とする。校則がほとんどない自由な校風である。

戦後になり現在の校名を採用するにあたり、当初「大宮前」をとる予定であったが、地域が狭すぎるので「東京の西」と範囲を広げ「西」となった経緯があるといわれている。また、この由来には西へ西へというパイオニア精神、西方文化、西方浄土の西をとったという説もある。

戦前から戦後にかけて、武蔵野台地ベッドタウン化を背景に進学実績も急伸し始め、1950年代から1960年代にかけてのいわゆる都立高校全盛期には小石川新宿両国等をはじめ、都立伝統校の日比谷戸山と並び、東京大学合格者数全国最上位校に名を成すようになった。その後、1967年学校群制度導入により受験者が限られ志願者層が変化したことや、補習科の廃止など進学指導を自粛する動きもあり、進学実績は往時ほどには及ばなくなったが、都立高の中では戸山などと共に比較的緩やかな退潮にあった。

その後20世紀末まで、入試問題の難易度や授業カリキュラム諸々の構造・機能ないし制度、大学合格実績その他諸施策等も含めた広報ブランディングで都立諸高は私立諸高と比較し差別化や特色を産み出せず改革の遅れが目立つこととなるが、進学実績に限れば西高は健闘していた[1]

2001年進学指導重点校に指定され、2002年から自校作成問題の導入や学区撤廃等の都立高校の諸改革を経て、2024年現在まで日比谷高や都立国立高などと共に都立高の中では東大合格者数の上位を維持している。

沿革

基礎データ

所在地

アクセス

鉄道

バス

  • JR中央線荻窪駅から関東バス「宮前三丁目」行き、「宮前四丁目」下車、徒歩3分
  • JR中央線西荻窪駅から区内バスすぎ丸かえで路線「久我山駅」行き、「西高校西門前」下車
  • JR中央線吉祥寺駅から関東バス「中野駅」行き、「宮前三丁目」下車、徒歩3分

入試および教育

  • 一般入試は、国語・数学・英語の3教科において自校作成問題が実施されており、高度な思考力や記述力が求められる。
  • 少人数授業習熟度別授業が行われるなど日々の授業が重視されており、「授業で勝負」を合言葉にしている。土曜日や長期休業中には受験対策講座が数多く開かれるほか、通常授業では扱われない教養講座の充実が大きな特長であり、校外学習講座として博物館史跡名所の見学会が頻繁に実施されている。また、2年次には英語以外の外国語の履修が可能である。敷地に隣接している西高会館を放課後15時から20時まで自習室として開放しており、記念祭後の10月頃から自習室の利用者が急増する。
  • 2017年現在、生徒の約6人に1人が帰国子女であるが、そうした理由もあってかハーバード大学大学院やマサチューセッツ工科大学で体験授業を実施している[2]

進学実績

学校群制度施行後も、東大合格者数では戸山等と共に高位安定を保った[1]

諸活動

部活動

硬式テニス部、バスケ部、ハンドボール部や、西高が発祥ともいわれ関東大会常連校であるアメフト部は毎年活躍している。

  • 卓球の世界選手権で12個の金メダルを獲得した荻村伊智朗は西高で卓球を始めたが、在学中は全国大会には出ていない。
  • 陸上競技部では、直近のOB・OGに、サニブラウン・アブデル・ハキーム(城西高)に破られるまで100m東京高校記録(10秒39)を保持していた篠貴裕(1992年卒、のち中央大学陸上部)がいる。
  • 2007年春、吹奏楽部の打楽器パートが東京都代表として全日本アンサンブルコンテストに出場し、金賞に輝いた。打楽器メンバーの大半が高校から始めた初心者であった。また2023年春、同部同パートが16年ぶりに東京都アンサンブルコンテスト(全日本アンサンブルコンテスト予選)に出場し、銅賞を受賞した。練習の様子は朝日新聞に掲載された。
  • 2019年6月10日から13日にかけて、つるばみ同好会チームがTOKYO FMにて放送された『未来の鍵を握る学校 SCHOOL OF LOCK!』の「SCHOOL 4ORCE」に挑戦し、史上初のパーフェクトを達成した。
  • 2023年8月、クイズ研究会が「東大王クイズ甲子園2023」に出演、決勝進出を果たし準優勝を修めた。

一覧

運動部

文化部

特別部

同好会

  • 軽音楽同好会
  • シブ楽隊(音楽)
  • つるばみ同好会(音楽)
  • 数学研究同好会

サークル

有志団体

学校行事

4月には新歓が数日にわたって行われる。 5月に運動会(西高校では慣例的に「体育祭」「体育大会」などではなく「運動会」の名称を用いている)、6月に夏クラスマッチ、9月に記念祭(文化祭)、3月末に春クラスマッチが行われる。

新歓

新入生は入学式の直後から新入生歓迎会実行委員(新歓実)の新歓を数日に渡って受けることになる。入学式の後には昇降口から始まる花道にて各部活同好会サークルからの熱烈な勧誘を受ける。次の登校日から2日間は学年で集まり各部活からの部活動紹介がある。MCは新歓実の委員が務め幕間も好評である。その後一ヶ月ほどの期間に渡って仮入部を行うことができる。

運動会

運動会では生徒は特に応援団に力を入れており、赤青黄緑の各団の希望者が昼休みや放課後、休日を使い練習している。また、競技名が独自の物になっており、いかだ流し→俺の屍を越えてゆけ、女子騎馬戦→アマゾネス、といった具合である。名物は、主に男女がペアを組んで踊る「ペアダンス」で、毎年各団の個性が出て盛り上がる。各団ごとに作り上げる巨大なマスコットも特色の一つである。

クラスマッチ

クラスマッチは1年のうち夏と春の2回開催されるクラス対抗のスポーツ等の大会で、それぞれ2週間にわたって行われる。種目はバスケットボールバレーボール卓球サッカードッジボール百人一首大縄である。但し、種目は年によって変わることもある。最終日には学校の外周を使っての駅伝や、教師陣とのエキシビジョンマッチが行われる。

記念祭

記念祭は例年、クラス団体と有志団体によって出し物がされ、クラス団体では3年を除く全クラスが展示アトラクション映像の中から一つ選んで出展する。有志団体は部活動や一年限りで結成される団体など多種多様な団体が年毎に出現する。いずれの団体もクラス団体同様前述4つの展示形態に加えて、パフォーマンスの中から一つ選んで出展する。有志団体は部活動が行うものであっても名称が異なっていたり、そもそも奇抜な名前の団体であったりと名称から団体の内容を予想することが困難な場合が多く、例として剣道部の人生劇場、浪漫倶楽部、サークル志記、つるばみ同好会などが挙げられる。また、2日間の記念祭の翌登校日には慰労祭が行われ、そこでもまた別の団体がパフォーマンスを行ったり、記念祭の来場者と生徒が最も優れた団体を投票で決める記念祭大賞の発表などが行われる。記念祭全体を引っ張る記念祭実行委員幹部は、名物の青はっぴを身に纏う。

高校関係者と組織

関連団体

  • 東京都立西高等学校同窓会

高校関係者一覧

関連作品

関連項目

脚注

  1. ^ a b ※参考 東大合格者数(1951年 - ) 出典 『創立70周年記念誌』 左側の数字が現浪、右側が現役合格者数
    1951年 - 64人(現役48人) 1952年学区合同選抜制度導入)- 32人(現役11人) 1953年 - 52人(現役12人) 1954年 - 55人(現役20人) 1955年 - 55人(現役17人) 1956年 - 64人(現役13人) 1957年 - 69人(現役24人) 1958年 - 69人(現役22人) 1959年 - 83人(現役26人) 1960年 - 100人(現役30人) 1961年 - 109人(現役37人) 1962年 - 121人(現役44人) 1963年 - 134人(現役48人) 1964年 - 156人(現役53人) 1965年 - 127人(現役63人) 1966年 - 127人(現役57人) 1967年学校群制度導入、富士高校と32群形成)- 120人(現役46人) 1968年 - 102人(現役35人) 1969年 - 東大紛争により入試中止 1970年 - 100人(現役32人) 1971年 - 81人(現役29人) 1972年 - 80人(現役32人) 1973年 - 81人(現役30人) 1974年 - 57人(現役14人) 1975年 - 42人(現役12人) 1976年 - 47人(現役20人) 1977年 - 53人(現役25人) 1978年 - 57人(現役18人) 1979年 - 45人(現役11人) 1980年 - 37人(現役13人) 1981年 - 46人(現役17人) 1982年グループ合同選抜制度導入)- 30人(現役7人) 1983年 - 33人(現役5人) 1984年 - 36人(現役4人) 1985年 - 26人(現役9人) 1986年 - 36人(現役13人) 1987年 - 35(現役9人) 1988年 - 28人(現役10人) 1989年 - 20人(現役5人) 1990年 - 25人(現役11人) 1991年 - 24人 (現役10人) 1992年 - 18人(現役5人) 1993年 - 31人(現役16人) 1994年(単独選抜制度導入)- 18人(現役8人) 1995年 - 21人(現役8人) 1996年 - 12人(現役6人) 1997年 - 8人(現役5人) 1998年 - 13人(現役1人) 1999年 - 12人(現役7人) 2000年 - 22人(現役4人) 2001年(東京都より進学指導重点校に指定される)- 13人(現役9人) 2002年 - 17人(現役8人) 2003年学区制度廃止)- 25人(現役11人)、2004年 - 11人(現役7人) 2005年 - 18人(現役9人) 2006年 - 19人(現役9人) 2007年 - 16人(現役7人) 2008年 - 28人(現役10人) 2009年 - 15人(現役11人) 2010年 - 20人(現役10人) 2011年 - 29人(現役14人) 2012年 - 24人(現役9人) 2013年 - 34人(現役18人) 2014年 - 31人(現役11人) 2015年 - 22人(現役15人) 2016年 - 32人(現役17人) 2017年 - 27人(現役14人) 2018年 - 19人(現役10人) 2019年 - 19人(現役14人) 2020年 - 20人(現役14人) 2021年 - 20人(現役11人) 2022年 - 27人(現役16人) 2023年 - 17人(現役8人) 2024年 - 17人(現役6人)
  2. ^ 日経出世ナビ
  3. ^ /最終回 西高校(東京都立・杉並区)」 猪熊建夫、週刊エコノミストonline、2018年8月6日

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