改造一円券
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1889年(明治22年)3月15日の大蔵省告示第27号「兌換銀行券ノ内壹圓券改造見本ノ件」により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換銀券 額面 壹圓(1円) 表面 武内宿禰(紙幣面の人名表記は「武内大臣」)、一円銀貨、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言 裏面 一円銀貨、英語表記の兌換文言 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造 記番号仕様記番号色 赤色 記番号構成 (製造時期により2種類あり)〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁 〈記号〉組番号:「{」+数字3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁 寸法 縦85mm、横145mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1889年(明治22年)1月 - 1942年(昭和17年)7月30日 記号(組番号)範囲 「第壹號」 - 「第壹五〇號」/151 - 446(いずれも1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 135,000,000枚[記番号:漢数字] 264,000,000枚[記番号:アラビア数字] 発行開始日 1889年(明治22年)5月1日 支払停止日 1958年(昭和33年)10月1日 発行終了 有効券 大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのため虫やネズミに食害されることが多々あり、また偽造防止対策として採用された薄い青色の鉛白を含有するインキが温泉地で黒変しかえって偽造し易くなるなどの技術的欠陥が明らかになったことから、これを改良するためにこの一円紙幣を含めた「改造券」が発行された。 偽造防止対策として精巧な人物肖像を印刷することとなり、肖像には1887年(明治20年)に選定された日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7人の候補の中から、改造一円券には武内宿禰が選ばれている。なお武内宿禰の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ国学者の黒川真頼などの考証を基に、エドアルド・キヨッソーネが神田明神の神官であった本居豊穎をモデルとしてデザインしたものとされる。武内宿禰の肖像が表面右側に描かれており、兌換対象の一円銀貨の図柄が表面の地模様と裏面の両方にあしらわれている。表面には日本語で、裏面には英語で兌換文言が表記されている(此券引かへ𛂋銀貨壱圓相渡可申候也 NIPPON GINKO Promises to Pay the Bearer on Demand One Yen in Silver)。偽造変造罰則文言が表面下部の2ヶ所に印刷されているのも特徴的である。図案製作者は旧券と同じくイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。 現在法律上有効な日本銀行券のうち、篆書体による「文書局長」「金庫局長」の印章が印刷されている唯一の紙幣でもある。また現在法律上有効な日本銀行券のうち、日本銀行兌換銀券である旧一円券と改造一円券の2種には、現行紙幣にある「発券局長」の印章が印刷されていない。 当初は記番号が漢数字だったが1916年(大正5年)8月15日発行分からはアラビア数字に変更された。古銭収集界での通称としては、記番号の表記から漢数字表記のもの(前期タイプ)を「漢数字1円」、アラビア数字表記のもの(後期タイプ)を「アラビア数字1円」と呼ぶ。いずれも1組につき90万枚、最大通し番号は「九〇〇〇〇〇」「900000」である。漢数字1円の記番号はハンド刷番機で印刷されており、アラビア数字1円の記番号は機械印刷による。なお当初発行分の武内宿禰の肖像が西洋人風の風貌となっていたため、1916年(大正5年)8月15日の記番号の表記変更とあわせて肖像の修正が行われている。 改造一円券の変遷の詳細および組番号の範囲を下表に示す。 通称発行開始日日本銀行への納入期間組番号範囲組番号表記通し番号表記その他の変更箇所漢数字1円 1889年(明治22年)5月1日 1889年(明治22年)1月 - 1915年(大正4年)下期 「第壹號」 - 「第壹五〇號」 漢数字 漢数字 アラビア数字1円 1916年(大正5年)8月15日 1916年(大正5年)5月29日 - 1942年(昭和17年)7月30日 151 - 446 アラビア数字 アラビア数字 肖像の一部修正 黒透かしが採用されており、毛筆による「銀貨壹圓」の文字と桐の図柄が確認できる。なお「銀貨壹圓」の文字は当時の大蔵大臣である松方正義の揮毫によるものである。 使用色数は、表面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている。 「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は法的には金兌換券として扱われることになった。しかしながら、兌換されるべき1円金貨が極端に小型となってしまうことから製造されなかったため、金本位制にはそぐわなかったものの、1943年(昭和18年)12月のい号券の登場まで50年以上にわたって製造が続けられた。このような対応が取られた理由は、貨幣法により発行された本位貨幣(本位金貨)の最小金額が5円となったため、これに合わせて兌換券の最小金額も5円とすべきとの考えから、当初は額面金額1円の兌換銀券を回収し50銭以下の補助貨幣で賄う方針であったが、経済発展に伴い小額の補助貨幣が不足する一方で一円紙幣の需要が増大したため暫定的にそのまま発行が継続されたことによるものである。 また関東大震災により滅失した兌換券の整理を目的とした1927年(昭和2年)2月の兌換銀行券整理法制定の際にも、5円以上の券種と同様に新紙幣への切り替え対象とすることが検討されたが、前述の通り対応する本位貨幣が発行されていないという矛盾があることや、将来的には硬貨に切り替える構想であったという背景などから対象外とされている。 その結果、この改造一円券が事実上の不換紙幣としてそのまま使用され続け、日本銀行券で最も長期間にわたり発行され続けた紙幣となった。1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行による金本位制の廃止に伴って法的にも不換紙幣として扱われることになったため、現在も不換紙幣扱いで銀貨と交換することはできない。先述の通り兌換銀行券整理法や新円切替の対象外であったため、法的には有効であり法貨として額面である1円の価値が保証されている。 古銭的価値は、高いものから順に漢数字1円>アラビア数字1円の組番号100番台>組番号200番台>組番号300番台以降となっており、漢数字1円は数千円から1万円以上の値がつくことがあるのに対し、アラビア数字1円の組番号300番台以降のものは、しばしば未使用の100枚帯封が古銭市場やネットオークション等に現れるほどであり、古銭商で1枚数百円~1000円程度の値段で販売されることはあっても、1枚での買取はほとんど期待できない。
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