改造五円券
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1888年(明治21年)11月14日の大蔵省告示第140号「兌換銀行券五圓券見本」により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換銀券 額面 五圓(5円) 表面 菅原道真(紙幣面の人名表記は「菅原道真公」)と分銅、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言 裏面 彩紋、英語表記の兌換文言 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造 記番号仕様記番号色 赤色 記番号構成 (製造時期により2種類あり)〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 2桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字5桁 〈記号〉「第」+組番号:漢数字2 - 3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁 寸法 縦95mm、横159mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1888年(明治21年)10月 - 1898年(明治31年)下期 記号(組番号)範囲 「第壹號」 - 「第九叄號」(1記号当たり90,000枚製造) 「第九四號」 - 「第壹〇貳號」(1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 15,800,000枚 発行開始日 1888年(明治21年)12月3日 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日 発行終了 失効券 大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのため虫やネズミに食害されることが多々あり、また偽造防止対策として採用された薄い青色の鉛白を含有するインキが温泉地で黒変しかえって偽造し易くなるなどの技術的欠陥が明らかになったことから、これを改良するために「改造券」が発行された。 通称は表面中央に分銅型の輪郭枠が描かれたことから「分銅5円」である。偽造防止対策として精巧な人物肖像を印刷することとなり、肖像には1887年(明治20年)に選定された日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7人の候補の中から、改造五圓券には菅原道真が選ばれている。なお菅原道真の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ国学者の黒川真頼などの考証を基に、エドアルド・キヨッソーネが実在の人物をモデルとしてデザインしたものであるが、モデルの人物は不詳とされる。また、肖像の菅原道真に因み、輪郭枠には梅鉢紋があしらわれている。図案製作者は旧券と同じくイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。裏面は彩紋模様により装飾された額面金額の数字が左側に配置されている他は英語表記の兌換文言が記載されているのみであるが、地模様などもなく簡素な図柄となっている。 記番号は漢数字となっており、下表のように前期と後期とに分けられる。 タイプ発行開始日組番号範囲通し番号前期 1888年(明治21年)12月3日 「第壹號」 - 「第九叄號」 5桁、最大「九〇〇〇〇」 後期 不明 「第九四號」 - 「第壹〇貳號」 6桁、最大「九〇〇〇〇〇」 透かしは「銀貨五圓」と「5YEN」の文字である。 使用色数は、表面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている。 「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は金兌換券として扱われることになった。 1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。
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