改造三八式野砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 14:19 UTC 版)
第一次大戦から戦間期において、欧州各国では急速に野砲の長射程化が進んだ。 この時代の流れに対応するため新型野砲の整備が求められたが、それまでの繋ぎとして既存の三八式野砲を改修して射程を延伸させることとなり、改造三八式野砲が開発された。既存の三八式野砲から逐次改修され、またこれとは別に新規に約500門が生産された。 改造三八式野砲は、高仰角を取っても砲身と砲脚が干渉しないように砲脚を中央部に穴のあいた刺又(音叉)状のものに改修したほか、高仰角での砲撃時に後退した砲身を前進させられるように駐退復座機を強化し、砲耳(砲身の俯仰角を取るための軸)の位置も変更した。このため改造三八式野砲の駐退復座機は、改造前の三八式野砲のそれに比べてやや前方に延長されている。その為、未改造の三八式野砲と比較して最大射程を3,000 mほど延伸させることに成功したが、反面重量は190 kgほど増大している。 前述のように本砲は将来的に新型砲が整備されるまでの暫定的な野砲として開発されたが、部隊配備以後、駐退複座機と砲架を中心に故障・事故が相次ぎ、また仰角を43度まで増やしたものの、改造された砲の中には仰角35度以上では復座力が不足して手で復座させる事例も出るなど、信頼性に問題を抱えることとなった。 1935年(昭和10年)前後頃には、三八式野砲の後継となる九〇式野砲が開発・採用されたが、九〇式野砲は重量が大きいため機動力低下を懸念した参謀本部は、九〇式野砲の設計を基に射距離を犠牲にして軽量化を推し進めた九五式野砲を制式採用する。しかしながら、1940年(昭和15年)頃の日本陸軍は、ドイツ陸軍とアメリカ陸軍の師団砲兵に倣い、師団砲兵の編制を従来の75mm野砲・105mm軽榴弾砲(九一式十糎榴弾砲)から、105mm軽榴弾砲(九一式十糎榴弾砲)・150 mm重榴弾砲(九六式十五糎榴弾砲)装備へと改編し火力を向上させる構想を抱いており、野砲や山砲の生産は機械化牽引野砲である機動九〇式野砲を除いて縮小されていた。その為、九〇式野砲の総生産数は約200門(機動九〇式野砲は約600門)、主力野砲となるべき存在である九五式野砲で約320門以上程度であったため、改造三八式野砲は完全に更新されること無く終戦まで運用が続けられた。
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