戦時下の皇后とは? わかりやすく解説

戦時下の皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)

香淳皇后」の記事における「戦時下の皇后」の解説

香淳皇后は、1932年昭和7年4月1933年昭和8年4月1937年昭和12年4月靖国神社参拝していたが、支那事変(のち日中戦争)の勃発以降は年2回参拝若しくは天皇親拝合わせて宮城黙祷)するようになった1933年10月1941年3月には、単独で同神社参拝している。 香淳皇后はさらに、1938年13年)春~初夏にかけて、皇族妃王公族妃を日本朝鮮台湾派遣し病院療養所慰問させた。皇后名代として、皇族妃各地派遣することを通じ、「国母」「慈母」のイメージ浸透させていった。そして自身戦前戦時中にかけて単独公務行い日本各地への行啓当時ニュース映画などでも報道された。この頃には、新聞ラジオニュース映画等のメディアにおいて国母陛下(こくぼへいか)」という呼称用いられていた。同年10月27日武漢攻略すると、昭和天皇香淳皇后過去になく、夜、二重橋現れた。 1940年昭和15年)には紀元二千六百年記念行事執り行われ11月10日には記念式典が、11月11日には奉祝会が皇居前広場行われ昭和天皇とともに臨席した。香淳皇后は、夫帝に付き従うスタイル貫いていたが、11月11日夜になって照宮、孝宮、順宮、義宮の4子を伴って二重橋前現れ天皇皇太子継宮)とは異な主体として、かつ「母」イメージ国民歓呼応えようとした(実際に暗く皇后らの持った提灯しか見えなかった)。1941年昭和16年5月15日から20日までの6日間単独三重県奈良県京都府行啓したが、神社天皇陵以外では、京都陸軍病院現在の国立病院機構京都医療センター)と修学院離宮のみであった唯一18日の3万人動員され奉迎式が「君民一体」を現出し皇后実像が「慈母」のイメージ重ね合わされた。 同年12月8日真珠湾攻撃及びマレー作戦により対英・米開戦し大東亜戦争/太平洋戦争開戦)、翌1942年昭和17年2月15日にはシンガポール陥落させた。2月18日戦勝祝賀式に際し騎乗した天皇二重橋前現れた後、皇后照宮、孝宮、順宮、そして継宮皇太子)を伴って二重橋現れ十数万人市民歓呼応えた例年皇后誕生日には恩師でもある野口幽香宮中招き歓談していたが、この年初めて、クリスチャンである野口皇后からキリスト教聖書)の講義を行うよう求められた。このことは女官長保科武子女官伊地知幹子支持し皇后宮大夫広幡忠隆尽力した同年4月から1947年昭和22年5月まで、計15回にわたり野口から進講受けた1943年昭和18年)春~秋にかけて、再び皇族妃王公族妃を各地視察慰問派遣した。自らも5月19日東京市内を視察したが、質素ながら調えた衣服で、また積極的に臣民に声をかけて回った5月13日には野口から約11か月ぶりに第4回目進講受けたばかりであり、皇后変化にはキリスト教思想影響指摘されている。同様に6月18日第5回目の進講を受け、6月21日多摩御陵参拝後に南多摩郡七生村(現日野市)の農村視察した際も、熱心に視察し大きく報道取り上げられた。天皇地方視察無くなる一方皇后皇族妃の姿が可視化され、質素倹約模範となった同年10月13日第一皇女照宮成子内親王盛厚王東久邇宮稔彦王第一男子)と結婚。翌1944年昭和19年)には他の5人の皇子女達も疎開学童疎開)して東京離れたが、皇后自身昭和天皇とともに夫婦東京都に留まった。同年9月30日には、宮中服定められ皇后戦後まで長く着用した12月23日皇后皇太子継宮11歳誕生日合わせ全国疎開児童ビスケット配布し御歌(みうた、和歌)を添えて激励した。 またこの頃には、「皇后天皇仕人」とされたため天皇乗る自動車には同乗できなくなったともいう。戦中食糧難の折には、国民同じよう皇室への食糧配給厳しくなる中、天皇夕食共にする際、二人で相談して、必ず料理の一皿か二皿を残し侍従女官下げたという。戦争末期には、皇后自ら吹上御苑野菜作り養鶏行い、さらに敗戦後引揚者のための布団着物作り行った1945年昭和20年3月10日東京大空襲の中、東久邇宮家嫁した盛厚王妃成子内親王長男信彦王防空壕出産した昭和天皇香淳皇后にとって初孫誕生となった。そして、同年8月15日、夫の昭和天皇によるラジオ玉音放送聞き敗戦迎えた

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「戦時下の皇后」を含む「香淳皇后」の記事については、「香淳皇后」の概要を参照ください。

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