戦時下の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 07:55 UTC 版)
その後、1942年(昭和17年)4月の総選挙で、郷里の千葉県第3区から大政翼賛会の推薦候補として立候補した。定員4人中第3位で当選し、衆議院議員となった。「右翼陣営の首領の一人」と評された、5月には翼賛政治会の総務に推薦された。イタリアの降伏後、「イタリア友の会」は盟邦同志会と改称され、白鳥はこの会を通じて活発に言論活動を行った。しかし彼の言説は清沢洌が「精神病的人物」と評するように、「神懸かり」「誇大妄想狂」「まだ病気が治らない」などと揶揄されていた。 また東条内閣への批判を強め、1943年には鳩山一郎や中野正剛に続いて大政翼賛会から脱会した。1944年にはこの戦争が「邪神エホバの天照大神に対する反逆」「エホバをいただくユダヤ及びフリーメイソン」の反逆行為であると発表している。またムー大陸が実在していたと説き、世界の人類はすべて日本民族から別れたものであり、世界最古の文明や各宗教は皆日本から出ているとも語っている。また同年には若手外務省官僚の重光外相・大東亜相に対する反対運動が発生したが、本間雅晴中将の小磯国昭首相に対する報告によると、この運動を煽動した者の中に白鳥がいたとされる。
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