戦時下の文理大本館と被爆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/17 17:01 UTC 版)
「広島大学旧理学部1号館」の記事における「戦時下の文理大本館と被爆」の解説
戦争末期の1945年(昭和20年)6月、大学本館の1/3以上(3階および2階の一部)は中国地方総監府に接収されたがほどなくして原爆投下となり、爆心地より1420メートルの位置にあった本館の内部は1Fの3室を除いて全焼した。しかし何とか外郭だけは焼け残ったため、1946年9月までに文理大は補修工事を経た本館に復帰した。 被爆当時、暗闇の中の本館から手探りで避難した人々により壁に残された血痕は、1958年(昭和33年)の改修に際して切り取られ保存された。また、正面の大時計は8時15分を示したまま戦後長く止まっていたが、1965年頃、修理不可能として交換された。
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