戦時下の強行遠足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:19 UTC 版)
「山梨県立甲府第一高等学校」の記事における「戦時下の強行遠足」の解説
交通機関が発達して脚力が低下した近代社会において強歩は健康維持の観点からも注目される一方で、1937年(昭和12年)には日中戦争が勃発し、兵士養成の観点からも重視された。1941年(昭和16年)に体育指導者の大谷武一は『正常歩』において、甲府中学の強行遠足と鹿児島県女子師範学校・鹿児島県立第二高等女学校の事例を取り上げた。 こうした風潮を受けて、1941年の第18回大会では従来の個人の限界に挑戦する従来の趣旨に対し、生徒の団結を強化するため「最優秀組」を表彰する制度が導入され、各学年において平均歩行距離が最高位のクラスに優勝額が授与された。1942年には『意義と其の実際』の改訂版が刊行され、改訂版においても戦時色が強く出され、同年前後には強行遠足が最高潮に達したという。 強行遠足は行政側からも注目され、1943年の第20回大会では厚生省体育官兼厚生技師の矢ヶ崎徳蔵、大日本体育会行軍山岳部理事の中村謙が大会を視察している。終戦の年である1945年には中止されるが、翌年から再開された。
※この「戦時下の強行遠足」の解説は、「山梨県立甲府第一高等学校」の解説の一部です。
「戦時下の強行遠足」を含む「山梨県立甲府第一高等学校」の記事については、「山梨県立甲府第一高等学校」の概要を参照ください。
- 戦時下の強行遠足のページへのリンク