戦時下の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「戦時下の合併」の解説
1939年(昭和14年)。新潟県は工場を誘致し、それまでの都市計画を変更して「大都市計画」を実行に移すために、新潟市周辺の町村との合併を亀田町、内野町、松ヶ崎浜村、大江山村、石山村、大形村、鳥屋野村、曽野木村、坂井輪村、黒埼村に働きかけた。 しかし、周辺町村は合併に消極的で、1942年(昭和17年)に県の斡旋によって内々に交渉を始め、合併に傾いた内野町との合併も、坂井輪村の1~2集落の反対によって立ち消えとなっていた。そうしている間に、大形村、石山村、鳥屋野村には大工場や鉄道官舎などが進出し、村内には町並みが新潟市域と一体の地区ができ始め、3村は1943年(昭和18年)に新潟市と合併した。
※この「戦時下の合併」の解説は、「新潟市の行政区域の変遷」の解説の一部です。
「戦時下の合併」を含む「新潟市の行政区域の変遷」の記事については、「新潟市の行政区域の変遷」の概要を参照ください。
- 戦時下の合併のページへのリンク