戦時下の1581形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 07:18 UTC 版)
「大阪市交通局1651形電車」の記事における「戦時下の1581形」の解説
1581形は全車鶴町車庫に配属された。当時の鶴町車庫は701形をはじめとした単車が多数配属されており、沿線の軍需工場へ通勤する労働者が増加しているにもかかわらず、輸送力確保の主役であるボギー車は858形と1081形が少数配属されているだけだったので、輸送力不足と混雑に悩まされていた。このために鶴町車庫への大型車の導入が強く望まれており、新製間もない1581形を投入することで、軍需工場への通勤者を大量輸送するとともに、輸送力の増強と混雑の緩和を図った。 太平洋戦争末期の大阪大空襲では、1582号と1585号の2両が被災したが、そのうち福町車両工場で被災した1582号の戦災焼失の報告が漏れたため、天王寺車庫構内に仮復旧した車両工場で復旧工事を受けた。その後、1949年に戦災車の欠番を埋める形で改番を実施されたが、1581形は1601形が55両戦災廃車されたのと、登場順が1601形と1701形の間であったために、1651形1651 - 1654に改番された。
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