戦後・国鉄時代とは? わかりやすく解説

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戦後・国鉄時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:22 UTC 版)

宗谷 (列車)」の記事における「戦後・国鉄時代」の解説

1958年昭和33年10月1日札幌駅 - 稚内駅(以下特記ない限り2代。)間で夜行準急利尻」(りしり)が函館本線宗谷本線経由運転開始同列車に三等寝台車を連結1960年昭和35年7月1日札幌駅 - 稚内駅間で準急宗谷」(そうや)が函館本線宗谷本線経由運転開始札幌駅 - 旭川駅間準急オホーツク」(札幌駅 - 網走駅間)と併結していた。 1961年昭和36年10月1日準急宗谷」が急行列車昇格し運行区間函館駅 - 稚内駅間(室蘭本線千歳線経由)に変更同時に札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間(函館本線宗谷本線天北線経由)の急行天北」(てんぽく)、さらに旭川駅 - 稚内駅間(宗谷本線経由)の準急礼文」(れぶん)が運行開始。「宗谷」は函館駅 - 滝川駅間で急行摩周」(函館駅 - 釧路駅間)、函館駅 - 旭川駅間で急行オホーツク」(函館駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。ただし、「摩周」「オホーツク」に一等車連結されていたのに対し、「宗谷」は二等車のみだった。 「天北」は札幌駅 - 滝川駅間で急行狩勝」(札幌駅 - 釧路駅間)を、札幌駅 - 旭川駅間急行はまなす」(札幌駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結1962年昭和37年5月1日札幌駅 - 名寄駅 - 遠軽駅間の急行紋別」(もんべつ)、旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅 - 旭川駅間の循環準急旭川」(あさひかわ運転開始。「紋別」は、札幌駅 - 深川駅間で急行「はぼろ」(札幌駅 - 留萌駅 - 幌延駅)を併結10月1日急行天北」が「狩勝」との併結解消し併結相手が「はまなす」のみとなる。「はまなす」の編成には一等車連結されていたが、「天北」は二等車のみだった。 1963年昭和38年6月1日急行紋別紋別駅 - 遠軽駅間を普通列車化。 1964年昭和39年10月1日急行宗谷」が単独運転となり、長万部駅 - 札幌駅間函館本線経由変更同時に一等車連結開始1965年昭和40年10月1日:この日のダイヤ改正で、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」が運行開始2両編成で、1日1往復当初札幌駅 - 旭川駅間急行大雪」(札幌駅 - 網走駅間)を併結1966年昭和41年3月5日準急列車制度改変に伴い、「利尻」「礼文」「旭川」が急行列車昇格準急「かむい」を延長格上げする形で急行「なよろ」が1往復増発され、2往復となる。「なよろ」1本に一等車連結開始10月1日:「利尻」の寝台車をマロネロ38形(1等寝台1等座席合造車)からオロハネ10形1等寝台2等寝台合造車)に置き換え。これによりマロネロ38形が形式消滅1968年昭和43年10月1日ヨンサントオダイヤ改正以下のとおり変更。「なよろ」下り1本を札幌発から小樽発に延長一等車連結列車を1往復拡大旭川駅 - 稚内駅間の昼行急行礼文」を夜行急行利尻」と統合昼行は「(上り下り利尻1号」、従来夜行は「(上り下り利尻2号」とする。 「天北」が単独運転を開始。この時点でも二等車のみ。 下り紋別」の普通列車区間興部遠軽間とする。また、旭川」を廃止し旭川 - 遠軽 - 興部 - 名寄間は急行オホーツク」とする。 1969年昭和44年5月10日等級制度廃止されモノクラス制移行一等車グリーン車二等車普通車変更1970年昭和45年10月1日:この日のダイヤ改正で、「なよろ」の小樽始発列車手稲始発短縮。「利尻1号」を「礼文」に再分離し礼文」の列車名称復活また、天北」にグリーン車連結開始1972年昭和47年3月15日ダイヤ改正に伴い、「天北」が小樽駅発着となる。ただし、小樽駅 - 札幌駅間は快速列車として運転。 10月2日ダイヤ改正に伴い急行「なよろ」のうち1往復旭川駅 - 名寄駅間短縮手稲始発列車札幌始発短縮1975年昭和50年7月18日ダイヤ改正に伴い、「なよろ」2往復すべてにグリーン車連結されるまた、天北」の小樽駅発着終了1977年昭和52年11月1日:「利尻」にオロハネ10形A寝台B寝台合造車)の連結取り止め、これ以降A寝台連結はなくなる。 1978年昭和53年10月2日ゴーサントオダイヤ改正。「なよろ」の札幌発着列車小樽発着延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。 1981年10月改正時点での宗谷本線走行優等列車稚内名寄 札幌函館宗谷 1 2 3 4 5 6 7 8 指 G 指 自 自 自 自 自 函館 - 旭川連結 天北 7 6 5 4 3 2 1 指 G 自 自 自 自 自 札幌 - 名寄連結 利尻 1 2 3 4 5 6 7 荷 荷 荷 〒 B B B G 指 自 自 礼文 4 3 自 自 「天北」の3・4号車と共通。 上下とも稚内 - 南稚内間で折り返し天北」の5 - 7号車となる車両締切扱い併結紋別 13 12 11 10 指 自 自 自 旭川まで札幌方に大雪」(5~9号車)、深川まで「はぼろ」(1~4号車)を併結。 なよろ 1・4号7 6 5 自 自 自 3・2号5 4 3 2 1 自 自 自 自 自 札幌 - 旭川連結 凡例 G=グリーン車座席指定席 指=普通車指定席 B=B寝台 自=普通車自由席 荷=荷物車 〒=郵便車 1980年昭和55年10月1日ダイヤ改正に伴い、「なよろ」のグリーン車連結終了また、「なよろ」の小樽発着列車札幌発着に再び短縮上り紋別」の普通列車区間遠軽興部間とする。 1981年昭和56年10月1日急行宗谷」の運行区間札幌駅 - 稚内駅間に短縮函館駅 - 小樽駅 - 札幌駅間は特急北海」に系統分離。これにより「北海」は1往復増の2往復となる)。「なよろ」の上札幌終着列車小樽終着延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。 1982年昭和57年11月15日:「利尻」の座席車14系500番台置き換え1983年昭和58年4月25日:「利尻」の寝台車14系500番台置き換え1984年昭和59年2月1日急行「なよろ」廃止14系急行利尻」(札幌駅 1986年14系急行宗谷」(稚内駅 1986年14系急行天北」(札幌駅 1987年9月10日1985年昭和60年3月14日:「宗谷」「天北」を14系客車置き換え。「礼文」の下り旭川始発を2時間半ほど繰り下げ上り稚内始発を2時間40分ほど繰り上げ札幌旭川間の特急列車との接続を可能とする。キハ56系気動車老朽化したことに加え利用者サービス向上全車冷房化簡易リクライニングシート化)の一環から当時定期昼行列車としては珍しく客車による運転となった。また「利尻」と一部車両共用することで、経費節減図ったことも変更の理由とされる上り宗谷」・下り天北」は「利尻」と共通の編成寝台車一部グリーン席扱いコンパートメント席として運転。そのほか普通車自由席扱いとして開放していた。 下り宗谷上り天北」は14系座席車のみで組成牽引機関車は「利尻」と同じく幹線大型機・DD51形用いられたが、軌道脆弱な天北線経由の「天北」は名寄駅 - 稚内駅間軽量中型DE10形DE15形牽引運行、これも異例措置であった1986年昭和61年8月上り宗谷」・下り天北」のコンパートメントグリーン席扱い廃止。これにより、道内定期急行列車グリーン車取り扱い終了10月20日:「利尻」の3段寝台2段化される11月1日急行紋別廃止名寄本線内普通の快速列車格下げ快速「なよろ」の前身)。 12月7日:「礼文」にキハ54形500番台急行仕様車)を投入通常2両編成運行された。

※この「戦後・国鉄時代」の解説は、「宗谷 (列車)」の解説の一部です。
「戦後・国鉄時代」を含む「宗谷 (列車)」の記事については、「宗谷 (列車)」の概要を参照ください。

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