戦後・国鉄時代
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1958年(昭和33年)10月1日:札幌駅 - 稚内駅(以下特記ない限り2代。)間で夜行準急「利尻」(りしり)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始。同列車に三等寝台車を連結。 1960年(昭和35年)7月1日:札幌駅 - 稚内駅間で準急「宗谷」(そうや)が函館本線・宗谷本線経由で運転開始。札幌駅 - 旭川駅間は準急「オホーツク」(札幌駅 - 網走駅間)と併結していた。 1961年(昭和36年)10月1日:準急「宗谷」が急行列車に昇格し、運行区間を函館駅 - 稚内駅間(室蘭本線・千歳線経由)に変更。同時に、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間(函館本線・宗谷本線・天北線経由)の急行「天北」(てんぽく)、さらに旭川駅 - 稚内駅間(宗谷本線経由)の準急「礼文」(れぶん)が運行開始。「宗谷」は函館駅 - 滝川駅間で急行「摩周」(函館駅 - 釧路駅間)、函館駅 - 旭川駅間で急行「オホーツク」(函館駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。ただし、「摩周」「オホーツク」に一等車が連結されていたのに対し、「宗谷」は二等車のみだった。 「天北」は札幌駅 - 滝川駅間で急行「狩勝」(札幌駅 - 釧路駅間)を、札幌駅 - 旭川駅間で急行「はまなす」(札幌駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。 1962年(昭和37年)5月1日:札幌駅 - 名寄駅 - 遠軽駅間の急行「紋別」(もんべつ)、旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅 - 旭川駅間の循環準急「旭川」(あさひかわ)運転開始。「紋別」は、札幌駅 - 深川駅間で急行「はぼろ」(札幌駅 - 留萌駅 - 幌延駅)を併結。 10月1日:急行「天北」が「狩勝」との併結を解消し、併結相手が「はまなす」のみとなる。「はまなす」の編成には一等車が連結されていたが、「天北」は二等車のみだった。 1963年(昭和38年)6月1日:急行「紋別」紋別駅 - 遠軽駅間を普通列車化。 1964年(昭和39年)10月1日:急行「宗谷」が単独運転となり、長万部駅 - 札幌駅間を函館本線経由に変更。同時に一等車の連結を開始。 1965年(昭和40年)10月1日:この日のダイヤ改正で、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」が運行開始。2両編成で、1日1往復。当初は札幌駅 - 旭川駅間で急行「大雪」(札幌駅 - 網走駅間)を併結。 1966年(昭和41年)3月5日:準急列車制度改変に伴い、「利尻」「礼文」「旭川」が急行列車に昇格。準急「かむい」を延長・格上げする形で急行「なよろ」が1往復増発され、2往復となる。「なよろ」1本に一等車の連結を開始。 10月1日:「利尻」の寝台車をマロネロ38形(1等寝台・1等座席合造車)からオロハネ10形(1等寝台・2等寝台合造車)に置き換え。これによりマロネロ38形が形式消滅。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正。以下のとおり変更。「なよろ」下り1本を札幌発から小樽発に延長。一等車連結列車を1往復に拡大。 旭川駅 - 稚内駅間の昼行急行「礼文」を夜行急行「利尻」と統合。昼行は「(上り/下り)利尻1号」、従来の夜行は「(上り/下り)利尻2号」とする。 「天北」が単独運転を開始。この時点でも二等車のみ。 下り「紋別」の普通列車区間を興部→遠軽間とする。また、「旭川」を廃止し、旭川 - 遠軽 - 興部 - 名寄間は急行「オホーツク」とする。 1969年(昭和44年)5月10日:等級制度が廃止され、モノクラス制に移行。一等車をグリーン車、二等車を普通車に変更。 1970年(昭和45年)10月1日:この日のダイヤ改正で、「なよろ」の小樽始発列車を手稲始発に短縮。「利尻1号」を「礼文」に再分離し「礼文」の列車名称が復活。また、「天北」にグリーン車の連結を開始。 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正に伴い、「天北」が小樽駅発着となる。ただし、小樽駅 - 札幌駅間は快速列車として運転。 10月2日:ダイヤ改正に伴い、急行「なよろ」のうち1往復を旭川駅 - 名寄駅間に短縮。手稲始発列車も札幌始発に短縮。 1975年(昭和50年)7月18日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」2往復すべてにグリーン車が連結される。また、「天北」の小樽駅発着を終了。 1977年(昭和52年)11月1日:「利尻」にオロハネ10形(A寝台・B寝台合造車)の連結を取り止め、これ以降A寝台の連結はなくなる。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正。「なよろ」の札幌発着列車を小樽発着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。 1981年10月改正時点での宗谷本線走行優等列車 ← 稚内・名寄 札幌・函館 → 宗谷 1 2 3 4 5 6 7 8 指 G 指 自 自 自 自 自 函館 - 旭川間連結 天北 7 6 5 4 3 2 1 指 G 自 自 自 自 自 札幌 - 名寄間連結 利尻 1 2 3 4 5 6 7 荷 荷 荷 〒 B B B G 指 自 自 礼文 4 3 自 自 「天北」の3・4号車と共通。 上下とも稚内 - 南稚内間で折り返し「天北」の5 - 7号車となる車両を締切扱いで併結。 紋別 13 12 11 10 指 自 自 自 旭川まで札幌方に「大雪」(5~9号車)、深川まで「はぼろ」(1~4号車)を併結。 なよろ 1・4号7 6 5 自 自 自 3・2号5 4 3 2 1 自 自 自 自 自 札幌 - 旭川間連結 凡例 G=グリーン車座席指定席 指=普通車指定席 B=B寝台 自=普通車自由席 荷=荷物車 〒=郵便車 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、「なよろ」のグリーン車連結を終了。また、「なよろ」の小樽発着列車を札幌発着に再び短縮。上り「紋別」の普通列車区間を遠軽→興部間とする。 1981年(昭和56年)10月1日:急行「宗谷」の運行区間を札幌駅 - 稚内駅間に短縮(函館駅 - 小樽駅 - 札幌駅間は特急「北海」に系統分離。これにより「北海」は1往復増の2往復となる)。「なよろ」の上り札幌終着列車を小樽終着に延長。ただし、札幌駅 - 小樽駅間は普通列車として運転。 1982年(昭和57年)11月15日:「利尻」の座席車を14系500番台に置き換え。 1983年(昭和58年)4月25日:「利尻」の寝台車を14系500番台に置き換え。 1984年(昭和59年)2月1日:急行「なよろ」廃止。 14系急行「利尻」(札幌駅 1986年) 14系急行「宗谷」(稚内駅 1986年) 14系急行「天北」(札幌駅 1987年9月10日) 1985年(昭和60年)3月14日:「宗谷」「天北」を14系客車に置き換え。「礼文」の下り旭川始発を2時間半ほど繰り下げ、上り稚内始発を2時間40分ほど繰り上げ、札幌 ‐ 旭川間の特急列車との接続を可能とする。キハ56系気動車が老朽化したことに加え、利用者サービス向上(全車冷房化・簡易リクライニングシート化)の一環から当時の定期昼行列車としては珍しく客車による運転となった。また「利尻」と一部車両を共用することで、経費節減を図ったことも変更の理由とされる。 上り「宗谷」・下り「天北」は「利尻」と共通の編成。寝台車を一部グリーン席扱いのコンパートメント席として運転。そのほかは普通車自由席扱いとして開放していた。 下り「宗谷」上り「天北」は14系座席車のみで組成。 牽引機関車は「利尻」と同じく幹線用大型機・DD51形が用いられたが、軌道が脆弱な天北線経由の「天北」は名寄駅 - 稚内駅間を軽量中型のDE10形・DE15形牽引で運行、これも異例の措置であった。 1986年(昭和61年)8月:上り「宗谷」・下り「天北」のコンパートメントグリーン席扱いを廃止。これにより、道内の定期急行列車のグリーン車取り扱い終了。 10月20日:「利尻」の3段寝台が2段化される。 11月1日:急行「紋別」廃止。名寄本線内普通の快速列車へ格下げ(快速「なよろ」の前身)。 12月7日:「礼文」にキハ54形500番台(急行仕様車)を投入。通常2両編成で運行された。
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