建設・造船業界の動向
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「普天間基地移設問題」の記事における「建設・造船業界の動向」の解説
メガフロート各派にとっては、本プロジェクトの受注は悲願であった。経済誌の中にはこの動きに着目して報じたものもある。代替ヘリポートの工法選定では、関西国際空港工事の際に引き続いて工法の選定にしのぎが削られたと言う。 かつての関西国際空港の場合、メガフロートの活用は1970年代には造船工業会により提案され、1985年頃1期工事の計画に当たって、折からの長期不況にあった造船各社、および鉄鋼各社はセミサブ式を推した。その後の1994年頃の2期工法計画の際には、ポンツーン式を推していた。2期の時にポンツーンとしたのは、周囲に防波堤を築き、コスト面でも有利な同方式ならゼネコンやマリコンの協力も得られるとの計算が働いていたとされる。この争いは政官財をあげての大騒ぎとなった。しかし、1期に続いて2期でも工法は埋立方式が選定された。メガフロートが漏れた理由は下記に纏められる。 実績が無かったこと(『エコノミスト』『財界人』は共に最大の理由としている) 政治家への食い込みが少なかったこと また、埋立方式を推していたゼネコン、マリコン各社も不同沈下や埋立工期の短縮、ヘドロや残土処理のため、多くの技術開発に努力していたと言う事実もあった。 詳細は「関西三空港の経緯と現状」を参照 そうした経緯があるだけに、運輸省が音頭をとった「メガフロート技術研究組合」の熱の入れ方は半端ではなかったと言う。今回の場合は組合の発足した1995年7月、運輸大臣であった亀井静香が第7次空港整備計画(期間:1996~2000年)にてメガフロート工法を積極的に取り入れる方針を明らかにし、翌1996年9月には亀井や同じく運輸相を務めた経験のある平沼赳夫などを中心とする「メガフロート実用化推進議員連盟」も発足していた。 造船業界での中核企業は三菱重工業(同社会長の相川賢太郎は「メガフロート技術研究組合」の理事長を務めていた)や、日立造船である。また、川崎重工業の会長であった大庭浩はメガフロートの実用化を目的として1990年に設立され、産業横断的に99社が参加しているマリンフロート推進機構の会長であった。『エコノミスト』誌によれば、セミサブ式はコスト面の問題から最初に外れ、QIPとポンツーンの一騎討ちになっていたと報じている。また、ある造船工業会の幹部は「造船業界は納期と工期をきちんと守る。過去にゼネコンが手がけた大型公共事業のように建設費が途中から増えたり、完成時期が延びたりすることは無い」と述べた。QIPとポンツーン式の事業費はほぼ同額と見積もられていたが、最終的な総事業費はポンツーン式の方が安くなるとの見通しを示したと言う。 一方、普天間問題と言う採用の機会が突然沸いてきたことによる準備不足もあった。メガフロート技術研究組合は鉱工業技術研究組合法の制約から、具体的な営業活動が出来なかった。そのため他の案と異なりこの時点までは地元と公に話し合う場すら無い状態であった。そこで、1997年1月31日、メガフロートに関わる大企業18社は「超大型浮体総合システム研究会」を発足し、営業活動の母体とすることとした。 日経産業新聞によれば、この頃地元からメガ派に出ていた提案としては下記が挙げられる。 75haの浮体基地内に100万トンの淡水を備蓄し、近隣市町村の水不足に水道事業を展開 水深300mの深水層から低温清浄で栄養分の多い海洋深層水を取水し、基地の冷房やエビなどの養殖に役立てる また、日経産業新聞によれば超大型浮体総合システム研究会側から地元への提案としては次のような内容を研究していた。 研究会の目算であるメガフロート案全体工費3000~4000億円の内、1000~1500億円は防波堤部分であり、地元施工が見込める 300m級の乾式ドックを地元に建設し浮体ブロックを建造委託し、爾後は「離島苦」解消に資するためフェリー修繕技術の指導を行って産業振興に資する 一方、『財界人』『選択』などによれば、海洋土木企業が参加するQIP派では「沖縄海洋空間利用技術研究会」の幹事を新日鉄が務め、ゼネコン各社と日商岩井が主体となっていた。異色のメンバーとしてはレイセオンがおり、『選択』にはミサイルの売込みなどを通じ防衛業界とは太いパイプがあるなどと書かれている。1997年当時、レイセオンジャパンの社長は元第7艦隊司令官のロバート・フォーリー(Sylvester Robert Foley, Jr. 在任1978年5月31日–1980年2月14日)退役海軍大将であり、QIP組にとり心強い支柱と言われていた。なお、鉄鋼業界についてはメガフロートで鋼材のサプライヤーと見込まれるのは勿論のこと、桟橋構造であるQIP工法でも多数の杭を打ち、その合計は1万トンに上るといった面があったため、QIPでもある程度の需要が見込めた。 また、「沖縄海洋空間利用技術研究会」と「メガフロート技術研究組合」の両方に参加する企業も何社もあり、ゼネコンでも鹿島などは防波堤技術でメガ陣営に協力をしているため、単純にメガ派とQIP派に峻別できる訳ではなかった。 このヘリポートは将来のビジネス展開においても天王山と見られていた。メガフロートの用途は空港以外にも様々な内容が考えられており、官公庁は過去の実績を重視するため、ヘリポートに採用された工法が将来においても有利と見られていたからである。 しかし『エコノミスト』によれば、共通するリスクもあった。それは現地が海上ヘリポート自体に反発を抱いていると報道されていたことである。それを無視してPRを行った場合、工法のイメージに傷がつく可能性もあった。 また、特に造船業界が警戒していたのは地元に利益が還流できる埋立方式であった。埋立方式のメリットとしては地元への利益配分以外に下記が挙げられている。 耐用年数100年を謳っていたメガフロートなどに対して恒久利用が可能である 漁業などへの補償のシステムが確立している 従って政治判断が働けば不利であることは造船業界でも認識されていた。それは1997年9月の防衛庁による基本案表明(下記)にて、セミサブ式のメガフロートが除外され、5年後にQIPと共にポンツーン方式も棄却されたことで現実のものとなり、造船業界は再び建設業界に破れたと言われることとなる。
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