建設費用の捻出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:44 UTC 版)
1953年(昭和28年)末、当時の文部省に「「フランス美術館」(仮称)設置準備協議会」(委員長は高橋誠一郎)が設置された。しかし、当時の日本は財政難で、新しい国立美術館を造る余裕はなかった。文部省は1954年度予算に美術館建設費として1億5千万円を要求したが、認められたのはわずか500万円であった。 そこで、文部省としては、東京・上野の東京国立博物館内の一展示館である「表慶館」を「松方コレクションの展示場」に充てようとしたが、フランス側はこれに不快感を示した。1954年2月、当時のフランス国立博物館長(Director of Museums of France)のジョルジュ・サール(en:Georges Salles)が来日し、文部大臣と会談、予算を十分に取るべきであること、上野に建設するべきである、といった意見を示した。 こうした中、1954年には実業家・政治家の藤山愛一郎が中心となって「松方氏旧蔵コレクション国立美術館建設連盟」が結成され、1億円を目標に寄付金集めが始まった。連盟では当時活躍していた著名美術家たちにも協力を求めた。すなわち、大口の寄付者には見返りとして、これら著名美術家の作品をプレゼントしようというものであった。 この提案に対し、美術家たちは始め難色を示していたが、ある会議の席上、洋画家の安井曾太郎が「このコレクションが戻ってきて、一番恩恵を受けるのは誰か。われわれ美術家ではないか」と発言したことがきっかけで、美術家たちは進んで協力するようになったという。1954年11月には補正予算で建設費5千万円が認められた。
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