建設請負論
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1911年(明治44年)に、民輔は請われて、建設業協会理事長に就任。のちに会長となるが、民輔自身は今日のゼネコンの体制である設計と施工の1式請負というスタイルを否定し、この社会から消滅することを望んでいるとまで述べている。1892年(明治25年)造家学会通常講演会で、清水満之助店支配人・原林之助が行った「1式請負こそわが国の建設業の進むべき道」との主張に対して、民輔は原が1式請負の利益ばかり挙げて弊害には触れていないことを挙げ、原が掲げた項目からもたらされる利益(経費の節約、煩雑でなく便利、竣工後も安全保障、工期の短縮)に一つ一つ反論を加えている程であった。しかし後の建設業協会発足にあたり、理事に誘ったのは、他でもない清水組大番頭である原林之助らであった。
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