建設計画の浮上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:38 UTC 版)
珠洲市での原子力発電所建設計画が浮上したのは、1975年8月に発覚した、能登半島先端部における北陸電力の原子力発電所共同開発計画が端緒となっている。同年10月30日、珠洲市議会は全員協議会において「原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書」を国に提出することを議決し、やがて石川県知事の中西陽一に手渡した。当時中西は能登半島への原子力発電誘致を加賀・能登の格差是正や産業振興、過疎化抑制の手段とし、原発推進の姿勢を示していた。その中で、珠洲より先に羽咋郡志賀町に志賀原子力発電所の建設が決定した。 この動きから、電力3社は珠洲市内での原子力発電所建設構想を打ち出した。要望書提出後の国による立地予備調査を経て、珠洲市側は一度は静観するものの、1983年12月16日に珠洲市長の谷又三郎が市議会で原発立地推進を表明した。 翌年には電力3社による珠洲市への立地可能性調査の申し入れと「珠洲電源開発協議会」の設立が行われ、原発立地への動きが進められた。
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