建設計画の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 00:55 UTC 版)
「ストラスブールの大モスク」の記事における「建設計画の始まり」の解説
1992年、当時のストラスブール市長であったカトリーヌ・トロットマン(フランス語版)が礼拝所を訪問した。トロットマンはその翌年、ストラスブール市内におけるモスクの建設計画を支持する発表を行った。これを受け、礼拝所の責任者であったアブデッラー・ブスフは、ストラスブール市内の9つのイスラーム団体の責任者からなるストラスブールのムスリム団体連携組織 (Coordination des Associations de Musulmans de Strasbourg) を設立した。 1998年には当時のストラスブール市長であったロラン・リス(フランス語版)の呼びかけで、ストラスブールが位置するアルザス・モーゼルの公認宗教であるユダヤ教、カトリック教会、プロテスタントのルーテル教会と改革派教会のストラスブールの各代表者が共同で、ストラスブールにおけるモスクの建設を支持する宣言を行った。 1999年4月、ストラスブール市議会はモスクの建設を支援する決議を可決し、2000年5月にはこの決議に基づいてモスク用地の50年間の長期賃借契約が締結された。モスクの建設用地には、交通の便のほか、利用者の出自や居住地域などに偏りが発生しない立地が求められていた。また、建設資金の10パーセントまでという制限付きで、市から助成金が拠出されることも決定された。同年にはモスクの建設案のコンペティションが行われた。コンペティションでは12人の審査員が審査を行い、イタリア人建築家であるパオロ・ポルトゲージ(英語版)のプロジェクト案が選出された。
※この「建設計画の始まり」の解説は、「ストラスブールの大モスク」の解説の一部です。
「建設計画の始まり」を含む「ストラスブールの大モスク」の記事については、「ストラスブールの大モスク」の概要を参照ください。
- 建設計画の始まりのページへのリンク