建設計画工程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 09:20 UTC 版)
「30セント・メリー・アクス」の記事における「建設計画工程」の解説
2000年8月23日、副首相のジョン・プレスコットは、以前に存在していたバルチック海運取引所の建物よりはるかに巨大なビルを建設する建設許可を与えた。これで、ビル計画は建設が終了した際にどのような外観になるのかが決定的な争点となった。 建設予定地はロンドンでもかなり特殊な場所であった。理由として、この用地は、新設されるビルがロンドン周辺の複数の位置から見た際に、セント・ポール大聖堂の眺めを妨げ損なわないとする計画案内への記入が必要な「照準線」上にはなく、また歴史あるバルチック海運集会所の本部建物も位置していたからである。また内装の設計は非常に美しく、立案者達に特上のやる気と影響を与えるものであった。 用地建設の原案では、バルチック海運集会所の再建のみが焦点であった。イギリスの建築会社GMWアーキテクツは、各銀行が広々としたフロアを好むことから、修復された海運取引所を囲む長方形のビルの建設を提案した。しかしこの建設案は買い手がつかなかった。 結局、設計家達は集会所がもはや修復不能であり、建築制限を緩和しなければならないと考えた。彼らは、建築学上有意な建物であれば、まったく新しいビルの建築案でもシティ当局から好意的に見られて認可が下りるかもしれないと暗に考えていた。この意識の進展が自由に建物をデザインするよう建築家を開放し、顧客が好むような誇張され、資本能率的で、金儲け向けのビルという制限的な需要を除去したのである。 計画形成中にあったもう一つの大きな影響は、ロンドンの東部再開発地区、ドックランズに位置する高層ビル街であるカナリー・ウォーフであった。当時各銀行や商業機関は、再開発地区ではモダンで巨大なフロア基盤を有するビルの建設が許可されていたため、カナリー・ウォーフのビルに群れを成して移り始めていた。シティ・オブ・ロンドンはそうした近代的な建造物の建設を承認していなかった為、企業は社員を様々な場所に分散しなければならなかった。その後シティはその政策が大規模な欠陥をもたらしていると理解を示し、高層建築物への反感を緩和したのだった。 その後スイス・リ社のやや水準を下げた計画案が、ロンドンの割合狭い伝統的な街道を維持したいとする、計画立案権威者の要望に適った。スイス・リ社提案のビルの大きさは、威圧的すぎずちょうどよかったのである。またバークレイ銀行本部ビルのように、スイス・リ社計画のビルは近接するストリートからも見てほぼはっきりとわかるものであった。こうした計画の規定や目的がシティの新たな視覚的独自性を創り出すことになった。例えばアメリカ合衆国のニューヨークにおける建築の区画比率やセットバック規定は、ロンドンやパリのようなより保守的な規定を有する都市に比べ、建築物をどのような外観にするかに莫大な影響を与えている。
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